卯の端其根日記 98123

失われた錦之宮神示を、集めて掲示。データをお持ちの方はご協力下さいませんか?
(ホツマツタヱは暫くお休み)


錦之宮の【龍宮神示】

1:錦之宮神示 :

2010/01/17 (Sun) 18:35:33

先の錦之宮のHPに残っている神示を転写します。

残っていたのは、以下の四編だけです。

それ以下の巻は、既に消えてしまいました。

2:掲示 :

2010/01/17 (Sun) 18:53:08

神幽顕を統べ給ふ 主神は偉なる哉や実に
大空高く澄(透)明の  光を放ち永劫に
朽ちざるいのちたたへたる 日月星辰ことごとく
御旨のままに整々と ただよひ栄ゆ大宇宙
そのコウボウ(興亡)を仰ぎ見て この曠袤(翁)をこころとし
則の栄の道くれば 三千年も昨日の如
未来のはても明らけく 玉なす泉渾々と
胸裏にあふれ神の声 常にこころにささやきて
草香はしく風清し そも主の神の神霊は
神幽顕の三界に 満ちあふれたる三つの玉
変化自在の御心を 冶く生くるものの上に
常にメグミ(恵弥)を垂れ給ふ 時なき時はユダの神
エホバの神と澄みまして おのもの民の生くる道
開き給ひて或る時は 人間イエスキリストを
膝下に召して人界に 真理の綱(繋)を垂れ給ふ
綱(光)にすがりし民草を 洗い清めて後の世に
生くべき種を守りまし 唐天竺の釈尊は
御手に引かれて幾山河 こえきてこころ水晶の
玉の姿となりきたり 禽獣虫魚のはてまでも
その神愛に涙しぬ 釈尊キリストは今更に
云ふも及ばずその他に 人住む境いづくにも
祈りあがむるまめ人を 集むるところ必ずや
主神の権化臨みまし おのもに道を垂れ給ふ
宗教道は八千岐の 数はあれども一に帰す
宗教道の争闘も 三元分裂の今の世に
何等とがむることもなし 釈尊キリストも天上に
昇れば同じ神苑の 玉の台(ウテナ)によみがへる
されど釈尊キリストも 皆々人にありにしが
物質界の世のはてに 主神身づから泥海の
さ中に降りましまして 世の転換の大変に
點晴の業なし給ふ 神が顕界(オモテ)に現れて
まことの種を秘め守り 三千年の梅の花
一度に開くその時に 共に潰ゆる難を避け
ノアの方舟モーゼが いよいよまことに現はるる
神が口かり文字をかり 予言されたる数々の
事実(マコト)となりて現はるる 主神は下生(書記)したまへり
三つの巴は火を散らし 波をあららげて五つの島
七つの海はゆれゆれて 日輪二つ大空に
輝く世をば三元の 長き歴史の幕をとづ
世界最後の大芝居 悲劇の幕は神政の
歓喜と共に下るなり 主神は下生したまへり
古き汚きもろもろの 過去の教へを法を焼き
真理の綱を手に給ひ ただひとすじの神の道
松の栄えの御代に逢ふ 人の幸こそありかたき
真理と愛と光明の 一つに凝りしマニの玉
主神は下生したまへり 三々九度のヨルダンの
その河上の岩むろの 神秘の扉いま開く
いすずの川の川の末 五色の民は剣太刀
二大日輪背に負ふて 對ひ立ちたる比良坂の
一度に開く梅の花
3:掲示 :

2010/01/17 (Sun) 19:06:32

人のしがなき舌先に ころばすものを言霊と
いづくの人が申せしか それは言葉といふもので
神の御眼より見給へば 紙より薄く地の上を
ただよひつつむ空気とふ ものをふるわす事をいふ
言霊戦など申しても 真空帯や海の底
地の中にて如何にして いかに言葉を吐くなりや
言霊とふは声でない 更に文字でもあらぬなり
されどキリスト聖書にも 「はじめに言葉あり」といふ
その言霊や言の葉は いかなるものをいふなるや
言葉は思ひを人々に 伝へる具なりさればこれ
神の言葉といふものは 神霊の意志に外ならず
「始めに言葉ある」ことは 宇宙の意志が太初より
厳とありしを申すなり 宇宙の意志は今も今
不易不変の理想もて この後何千萬歳の
未来のはてのそのはてに つらぬきとほるいのちづな
これを人世にたとふれば 言霊戦は思想戦
思想戦には言の葉が 大事の武器となるなれば
言霊戦と申すのも 当たらぬことはなかりけり
されどかかるは根本の 思ひ違ひとさとるべし
実に言霊は神の意志 移写と結びとひびきとの
神の霊体発動し みじんの狂ひなき運行
なさしめ統ぶる髄の華 移写と結びとひびきとの
その深奥に秘められし 宇宙の意志のあるところ
主神のスこそいや高き 紫微天界と申すなり
紫微天界は主の神の 神々の上に比類なき
崇高(たか)さを保ちましませる その理の鍵にして
主神の霊と体の上に 天上高き神々の
明智も計り知られざる スのスを成せる紫微天界
妙なる極み光熱の 至高至純の大極の
発し給へるものをこれ 言霊とこそ申すなり
霊止はされども小宇宙 宇宙の形になぞらへて
神の創りしものなれば 霊止のまごころ凝る時に
発する意志の音声(おんじょう)は大小高下の違ひあれ
霊体もっては解き難き いと霊妙のはたらきを
なすこともあり更に又 神がかかりて書かせたる
音をたどりて解くなれば いとも神秘の深渕を
打見ることあるなりき されどかかるは神定(心底)の
霊止にかぎりて許されし 事にしあれば他(よ)の霊止の
みだりに踏み入る道ならず いかに神秘を知るとても
御霊の幸(ふゆ)はねがへまじ まこと言霊の尊厳を
知りてしあれば事たりぬ
4:掲示 :

2010/01/17 (Sun) 19:30:35

天津神七り十つ時の 天の八重棚雲別けて
既にこそ岩戸開きぬ 神ながら神さびませる
那岐那美の元つ美(弥)神は 陽と陰との神息調べつ
神業成る玉の霊象 うつし世に奏でいづらむ
久方の神業(神技)は成れど 生む土の人わざまだし
いざ愛子神子たる霊止よ うつそみの力の限り
つくすべきは八きぬ 霊象のかたどるものは
光愛と眞のくしき 神業(神祇)なすものなれど
うつそみの具象の海を かたづくるものはことごと
力といふもののなすわざ 千早振神代に発して
その歴史いづこを見るも 力なきものはあらざり
力とは悪をいふなり これ故に眞たへたり
これ故に神愛かわき これ故に眞たへたり
然れどもこれある故に うつそみの地上は栄え
人の体のいよよ充実りて はるかなる神代の終わりに
ほろぶべき天理をよそに かくばかり絶えざるのみか
夏草の茂りの如く 地に満ちしこの不思議さ
時を知り流れを知れる スの神の叡智のわざか
逆天の摂理の糸の あやつりの神手(新手)の守りか
象あるものはすべて 終始あり力のわざも
鈴鹿山坂照る道の はてにこそ潰(費)えなむものぞ
さればとてその転換を おろそかに見過しぬれば
くらげなす元の渾沌 一瞬に化して戻らむ
一厘の神花(進化)の愛(学)は 大宇宙変化の寸前
常にこそ咲き出で香り 大直日神直日にぞ
事さまをまこともて解き 悪流(居る)に共に流れつ
流れつつおのれを澄まし 次々に遠く及ぼし
大宇宙変化の一瞬 遂にその全也(善弥)を浄化
霊象の無碍(零解)の変化を 具象界凝り固まれる
霊劣(零音)るよろずのものを 時空もて妙(明)にみちびき
滅亡を救ひ来りぬ かくなれば世の終末の
力とふものの消ゆべき 時せまり天示(天詞)降りぬ
力もて立てる現世 力取り何が残るや
絶滅のはてなき闇(善弥)に 陥るより道はなきなり
力もて力を救ひ 力もて力を浄む
真奈人の魁越ゆる 神山は道嶮なれど
光明は常に行く手に あればこそ何を憂ふる
瑞穂の国瑞穂の民の 天定(天譲)の使命を知りて
いざ三二音具象のうみに 神風受けていでたちゆかむ
安河(闇川)の地の神苑(深遠)の 大地守る大祖神の
国常立まします宮に あまの玉鎮めまつりて
写し出づはじめ印さむ 力もて力統ぶるは
曲神(極深)のなせるわざなり 力もて力を浄む
道(桐)こそは天の玉鋒 三千年の長き歴史を
打見ても未だなき道 新しき神代をはじむに
新しき道ぞあるべし これよりぞ具象のうみに
三二音出で漕ぎたみゆけば 霊象と具象の写し
いよいよと離れゆかば そのわざは容易ならざり
写すことかくなりゆかば 結ぶわざ更におぼ(覚)めき
救ひの舟(零音)に打ち乗りて 幸を伝ふる天業の
尊きわざの身をつくし 心たらひて安河の
神花(深離)の玉となさしめよ 尊き玉もその玉の
鎮まる処に鎮めずば 玉と瓦(我)と等しかり
いやしき玉もその玉の 居るべきところにあらざれば
使命をはたす事を得ず 宇宙の秩序破壊して
いづれも乱(卵)の源なり 三二音の救ひはまづもって
曲のきづなを解きほぐし 神子の霊性目覚めしぬ
われの使命を明らめて 身霊そろひて神ながら
神(深)の眞道に向はしむ 瑞穂(水火)の国の国民の
すべて眞道を行くなれば 曲も刃向ふ術もなし
醜もことごとく膝折りて 遠き近きの差別なく
すべて(全天)の神国と仰がなむ
玉の神苑の五つの男が 地の穢を洗ひさり
操尊き姫神が 古き姿に立ちかへり
をるべきくにに立ちかへり 照るべき苑にましまさば
その神徳はあますなく 光と化して天地に
あふれただよひ日月の スの御照しに香をそふる
されば五男三女神 打乗り出づる方舟(報恩)は
三二音のしらべ高らかに 地上の闇のうなばらに
その絶滅の四の時に 間髪入れず漕ぎ出づる
舟路はろかに舞ひいづる
曲神を玉鋒に変へ千早振
   神代のはじめいまうつしいづ
ニ三まよふ事のありせば 尚更に霊清浄と
天音(天恩)を常に悟りて 叡智もて事を進めよ
そのわざは苦しくなれど 次々に打ひろごりて
具象海目もはるばると 神光の照るを見るらむ
歓喜もちて

5:掲示 :

2010/01/17 (Sun) 19:43:30

玉の神苑の益羅夫が 地に下りて三千歳
命のかぎりあら潮の 底辺に耐へし年月や
日月めぐり星移り 宇宙の波動転換す
聖者の予言世を照し 神と自然を恋ふところ
人の霊に芽生えきて 栄華は潰ゆる一朝に
那岐那美の神の命の天降らし はじめの島は憂きふしの
竹のはびこる竹生島 具象のはじめ竹茂る
大和(太和)のくにの太刀鋒は 畝火の山の霊の末
身の末つぎて渡り来し 海路の旅の浪枕
重ねそここに三千年の 春はめぐりぬ曲太刀は
錆びて折れにき曲鋒は 腐れほろびぬ腐れ鋒
折太刀かざし猿共の 狂ひ舞ひ出でありとある
古き穢をことごとく 破りくだきぬ年古し
猿共集ひいかさまに 思ひめぐらし地の上を
平らにせむと高山を こぼち平らげ海原を
陸とぞなしておのが手に 新世なすといきまきて
つとめおれど不二の嶺は いとも高くて鳴る水火の
鳴戸(鳴子)の海は底知らず 深くはありて神国の
かよふ瑞穂の神振りに 觸るる術なし九分九厘
地上はなりて平らかに なし給ふとき瑞穂国
眠りをさまし埋もれける 神と人との結ぶなる
貴玉いでて曲鋒の 腐れる物を曲太刀の
折れけるものを光もて 百千にくだき罪穢
息吹に振ひ清浄の 土と化すなりおのころの
島の松山三千年の 眠りを覚ます時しらす
明けの明星さやかにし 輝りかがやけばももの玉
光帯び来て朝日子の 天照る光に映え栄え
十万光を放つなる 貴の象を玉鋒と
名付けて知らし千早振 よせては返す出雲崎
神女の操雲かげり 世は常闇の鬼畜界
闇打ちはらふくだかけの 高啼く時はいつならむ
覇道の邪剣乱舞して 日月永遠に照らざるか
時に声あり天の声 はじめの言葉そのままに
宇宙の祖神宣らします 天神地神八百萬
静より動に転ず時 一度に開く神の花
三二音出づべしいざやいざ 救世の神火煌々と
ともしび出づべしナオの舟 おのころ島に霊集ふ
眞人開く天の戸を 続きて開く地の戸を
天地の扉うち開き 丹き心の瑞穂国
神代のはじめを写しいで 具象の海にさし出す
埋れてあるを次々に あらはしいでておのおのの
本元明かしおのおのの 位定めて千万の
玉結ばれて宇宙をば 玉なし終へむ神のわざ
なりなりいづるそのはじめ 築く梅の実一輪の
尊きいのちの神守り 守り給はり人の身の
まことつくして八く月 光り発して九の十る
玉の象のゆらゆらと 清く生まれむあなにしや
その霊象はあなにしや 写す鏡の真名泉
済みてあらわれ神と人 一つになりて創造の
わざここに始まりとこしへに 栄へゆかなむ天閉す
しこ雲分きて岩屋戸を 開くいさをし玉照す
鋒のいさをを神どち たたへほめよ末とこしへに

6:ケンタッキー・フライド香取閃光 :

2010/09/04 (Sat) 15:58:41

※行数は上記掲示板上のそれを示す。

2行目  澄(透)明の → 澄明の
5行目  そのコウボウ(興亡)を → その曠袤を
5行目  この曠袤(翁)を → この曠袤を
12行目 メグミ(恵弥)を → 愛撫(めぐみ)を
15行目 真理の綱(繋)を → 真理の綱を
16行目 綱(光)にすがりし → 綱にすがりし
34行目 モーゼが → モーゼーが
36行目 下生(書記)したまへり → 下生したまへり
37行目 波をあららげて → 波あららげて

「天の巻・主神下生」は、それだけ読んでも理解できませんが、非常に大切なご神示なので、上記に修訂させて頂きました。「非常に大切な」その理由は、「天地和合の大経綸」で触れたミロク統一大祭や淡路スの本立直しの神業はもとより、スナナル祝詞(平成16年1月24日、錦之宮にて制定)などことごとく、この「主神下生」という一点への明確な方向性を有しているからにほかならないからです。このご神示については論じたい点が山ほどありますが、以下の2点だけ注意しておきます。まず、主の大神さまの下生は、実地の日出神業の大眼目であります。泉田瑞顕氏は『出口王仁三郎の大警告』p. 195で、昭和3年3月3日のみろく大祭を「主神下生の型」としており、これには同意します。しかし、同頁の「主神下生とは(みろく下生)雛型経綸における型神救世主のことをいう」の一文は混乱を招く恐れがあります。というのは、既述の通り、主神下生の大眼目は実地の経綸においてこそ実現すべきものであり、雛型経綸に限局されるものではないからです。次に、「主神は下生したまへり」の助動詞「り」に留意すべきです。このご神示における「り」は、ある動作の完了した意よりもむしろ、完了した動作が現在まで行われている継続と存在の意を表している、というのが筆者の立場です。(これを完了の意に解し、「主神下生」を雛型経綸に限局する解釈も可能ですが、失うものが大きすぎると言わざるを得ません。)言霊学的には(ここでは倉田地久『神声天眼学会言霊略解』による)、この「り」は「定り極る也」の義で、「天下を平定し極徳を以て極至極楽の神政を行ふてふ言霊」と理解しております。




7:カカシ :

2010/09/11 (Sat) 07:17:22

香取閃光さま

ご修訂して頂き、ありがとうございます。

8:2011 :

2011/01/28 (Fri) 17:31:48

龍宮神示(5)

-道示-

   
     夜明け待つ七つの扉      扉毎にあり七つの鍵
     
     
     鍵七つ解かるる度に       一つの扉開かれゆける


     一つの扉今開かれぬ      鍵七つ鋳て造りなす


     二の扉なる七つの穴に     さしまわし二の扉開かむ


     七つある扉の奥に        大岩の塞がり立ちて


     天日をそこに隠せり       その岩は神が手づから


     押開くものにありける      人の身は七つの扉


     開きてぞ事はたらひぬ      七つの扉順位ありけり


     鍵七つ順序のありて       いたずらに鍵さし入れば


     円こわれ抜き差しならず     永遠に扉は開かず


     百千里道を廻りて        愚かなる働きせねば


     元の様に返り難かり       鍵毎に型変れり


     鍵毎に時を計れり        その型に全く合いて


     その時に符合せざれば     廻すとも鍵は開かず


     強いてせばその鍵潰えて    千万の辛苦を嘗むべし


     鍵毎に房を付けたり       その房に彩りなせり


     その色は人に知ゆな       その色は秘色なれば


     只見ゆれば色もあらざる布切れに過ぎざりけれど


     その色は時を知りけり      時により万化の妙を


     落すなるものにしあれば     おろそかに見過す莫れ


     扉の前に争ふ莫れ        争ひは時の逆賊


     精妙の扉の鍵は         争ひの乱気に觸れて


     ことごとく組織変りて       新たなる鍵を鋳直し


     新たなる時を計りて        出直しを為さねばならず


     扉の開く時をつつしめ       開明の喜びに溺れ


     限りなき道の前途を       片時もわするるなかれ


     油断は悪気を招き        濁れを引き入れやすし


     和をもてど寛大過ぐるな     清濁の峻別をなせ


     日月に断切あらず         日出づるは日暮るるに続き


     日没すは日出づるはじめ     凡て皆いのちあるもの


     流転あり起伏あるとも       断隙はみじんもあらず


     扉の下の岩穴を見ざれ      扉を開く雑事に倦みて


     穴くぐり安き越えむと       さかしらを起すが故に


     七つの扉くぐり出でても      大岩の神の岩戸は


     さゆるぎもせざるのみかは    ますますに堅さを加へ


     常闇の世となりしを        深くこりて戒めをかむ


     岩穴はよからぬ霊の       あちこちとうがちし道の


     百枝千枝分れてあれば     只一度くぐり入りなば


     迷い路にいく年悩み       闇中に骨を晒さむ


     扉の前に美服を捨てよ     扉の前に荷を持つ莫れ


     美衣をまとひ何の精進     荷を負いて何の捨て身ぞ


     身を玉となしつとめば      闇中に光を落し


     自ら照り自ら開く         神民の道ここにあるべし


     示しける辻のほとりに      出で来し神子らの前に


     新しき道しるべして        次に行く目あてあたへむ


     すべてみな象のものに      心をばとらはるなかれ


     今日迄は無を主とせるも     これよりは無有を結びて


     兎角に眼をとらはれ易し     人間本来無一物


     時により位ひによりて      縁あり仕ふるのみぞ


     一石を負ひて歩くも        万宝を市井に流すも


     淡々と心涼しく仕ふ       仕への道あやまる莫れ


     人を見て則を説くべし      則聞かば行へばたる


     行ひは言挙せねど        天の声地を覆はむ


     よろず人嗤ひそやせば     行く道の正しきを知れ


     嗤ふ声忽ち嘆きて        漸てその袖にすがらむ


     一度はすがりし袖も       次の扉を開けて出づれば


     又嗤ひ散り去りゆくも      漸て又その袖恋ひて


     八千よろず泣き乞ひ来る    夏の日の五十蝿の如し


     冬されば自ずからたゆ      風よりもあわく聞くべし


     実法体いよいよめぐる      写結の法いよいよ妙に


     核柱のみゆるがずあれば万波来るも安くあるべし


     光房は東西に伸ぶ        然して後南北に立つ


     進展のゆく道すじも        皆これに従ひて起る


     東西を繰る地理に        先ず立てて御旗をかかげ


     然る後南北を立たば       枢要の地理を定めよ


     大地に霊性ありて        霊性高下定まる


     高きより低きに至るは      運営の正しき道ぞ


     地理よくて霊性優れて      万般の事直くはこぶ


     人の序は更に重んず      霊系と体系の仕組


     あやまれば和道みだる     霊性と能力加へ


     二分して価値を出し       活動の位置を定め


     霊性に位ひをあたへ       能力に物質を酬ゆ


     然してその基なるもの      常にして不変不退


     玲瓏と全くありて         一指をも觸れしむべからず


     計画は密なるとも        練り過し生気を滅せず


     すべてよく即決にして      天玉の象うしなはず


     基礎なるもの生々たれば    衆の心自ら和し


     統ぶる事全く易し         何事も人をもととす


     祭ること殊に重んず       何事にあれ祭りは要道


     祭りなきは霊のあらざる     土こねて作りたる偶像


     かたちよく綺麗はかざるも限りあるものの悲しさ


     流れゆく生命をもたず      時去らば老ひ朽ちはつる


     祭こそは政の親とぞ       人世にも口にはすれど


     すべ知らぬものの悲しさ     あらぬ方、向ひ行きつつ


     館のみ美しく飾り         わずかに安すんじをるも


     この本を確かとつかめば道しるべ教ふ要なり


     時々の変化に応じ        自在なるこころを得べし


     尚々としるべはあれどもちどりのかかづらはしく


     昭和十八年十一月十八日     三雲龍三 取次



9:2011 :

2011/01/28 (Fri) 17:33:43

龍宮神示(6)

-双名神示 嗚呼姫島の神業七る-

     ああ絶滅の夜半かけて      月の守りの神人が


     方艦(はこぶね)はせて五大州  身霊のとがに喘ぐなる


     四方の国人救ふべく       月光菩薩慈悲観音


     神の本姿を現はして        三二音のなかに立ち給ふ


     明日は満つらむ三五月      今宵仰がむ月光を


     写しみくにの終りとは       曲の毒酒に酔ひしれし


     人は知らざりあなあはれ     いざ警鐘を打ち鳴らし


     幾百億の生御魂          正しく直く明らけく


     生きむと願い玉鋒の        道ゆく人に聞かせまじ


     神のひめしま三二音いづ     神代のむらの清庭に


     御旗かかげむ八く月        天に調ぶる神音の


     地にひびきて奏で出づ       瑞の月光三つの鈴


     万象救ふ神愛の          霊顕兼ねて潤へば


     木草枯れ立つ五大州       青人草の青々と


     葦かび萌ゆる瑞兆の       水輪の如く現れて


     九しのはてなむ悪の世を     はてなきわだに光転す


     九月八日の神言葉        身霊そろひて御光に


     足音も高く打進む         神化の真道貫通す


     神の岡辺の日の出まつ     金龍海の水底に


     天地の光統ぶる神        三五の月の満つる夜の


     末世の幕のとづる時       十方の箱船次々に


     五色の民を救ふ時        金光粲(さん)と朝日かげ


     天の岩戸を押開き        瑞穂のくにのくに開き


     世に隠れける神の戸を      四方八十国に打開く


     霊の神苑の岩戸前        男龍女龍の陰陽の


     玉をふふみし地上界       降らし来ますまつりごと


     天地陰陽まつり和し       十字にかよふ神のいき


     科戸(しなど)のいぶき天雲の  一つもあらず吹きはらふ


     伊勢路を越えて咲屋姫     木の花匂ふ近江路や


     清き泉に霊すすぎ        象端(かたちただ)して逢坂の


     神の関屋(とまや)をゆるされて 玉鋒山のかくり身の


     岩長姫を婦(つま)神と      仰ぎ従い真奈泉


     世界の海に霊かよふ      十字の要かためなし


     五大世界に州の本の      五男三女の糸の綾


     もどく丹波の元い宮       鶴の一声天球の


     虚空にス点打ちしより      天翔りゆく神業の


     神花みちたり散る年の     散りて結びし梅の実の


     再び芽ばゆ万祥の        亀のよはひも満ちたりて


     明々和光十年の         年暮れ仰ぐ朝日かげ


     宇宙の波動そのままを     写し出でたり秘め鏡


     綾のもつれの鶴亀の      結びのはての闇の夜を


     解かん仕組も七り終り      天地の時も調べ合ふ


     その一瞬を光転の        千万年の一刻と


     期して待ちける神人が     発止と打ちし左右の掌の


     三二音の調べ漂渺と      奏でて満つる大宇宙


     不二と鳴戸の神動の      時を同じくして発し


     徐々に鳴動なし来る       比良の神山を打ちくだり


     火水の神器双の手に      調べを和してひびき統べ


     瑞穂の国のくにの精       瑞穂の国のくにかたち


     遠く神さぶ元の世の       神の神苑をいまの世に


     現し出でん神業の        霊化体現の道発す


                           三雲龍三 取次


















































































































10:2011 :

2011/01/28 (Fri) 17:35:37

龍宮神示(7)

-双名神示 眞言の剣-

     
     敷島の大和の国は山桜     散るがいのちの神の御つるぎ


     月日と土は清の霊と        体とをはじめしはじめより


     享し大元神ながら         太初の姿そのままの


     生と生ける万物を          一つに抱きいつくしむ


     その日月の光をば         何物よりも霊止は先ず


     畏れ仰ぎぬ地上界         愛の大地の上に開く


     人の歴史の悲しさは        澄まざるものの嘆きなり


     いともはかなきうつせみの     体の栄華曼荼羅図


     御祖の神は限りなく        世の万物をおしなべて


     愛し給はぬものはなし       わきて霊止こそ経緯の


     天地の息吹き結ぶ時        天のうづの子地の宝


     尊きものの極みとて        神の御姿うつしもつ


     こよなきものとなし給ふ       されど土より後の世に


     成りしものらは澄まざりし     ものにしあれば三元の


     竹松梅の三巴            三つの巴が火の車


     まはる年月三千年の        龍宮城の体の葦


     咲かせて散らす神の愛       竹が主の叢雲の


     剣の両刃裏表            表の道は出雲路の


     八雲立つなる大国の        曲の結びの行く末は


     むすび取られ蟹共の        猿をうらみて細矛


     千足の国を日向灘         九寸の神業も不知火の


     燃ゆる富士の嶺スの神の     裏に秘めたる綾糸の


     織りゆく丹波高倉の        三つ葉つつじの人知れずし


     花咲く春に近江潟         形入りくしびのめぐりつつ


     両刃の剣裏の路          ヨルダン川の川上に


     神の選民十六夜の        闇に咲きたる高千穂に


     降り来るは雨の世の末の     いるぎにそそぐ民の露


     露の涙涸るる時          しみじみ仰ぐ天の時


     時つぐ声の神歌を         凡夫の耳も菊の年


     両刃の剣裏表           表の道と裏の道


     二つの道の逢ふ時は       剣の舞の舞ひおさめ


     舞ふて納むる御神楽や      伊勢にはじまる三つ宝


     一つの宝草なぎの         草刈鎌となりはつる


     あはれ菊月菊の年         九月八日の秘め事を


     開く畝火の八つ頭         八つのおのもにおのが手に


     落す神政朝ぼらけ         神路の山の人知らぬ


     道にほのぼの朝日がけ      光と愛を身ひとつに


     いましみじみと浴ぶるなる    剣大刀鋒山とつみ


     天の火熱に焼きはらひ      地の慈愛の玉水に


     洗ひすすぎて新しき        神代につかふる新玉と


     生るる幸を思ひつつ        古き歴史を秋風に


     焼きつくすべし剣大刀       思へば遠き竹の世の


     神の嘆きの三千の         春秋去りていまここに


     剣打折る音すなり         大刀ふき溶かす火透見ゆ


     剣の歴史三千の          夢を思ひて神々は


     あわれみたまひ立たすなる    時こそ今といでたたす


     昭和十九年二月十九日        三雲龍三 取次


11:2011 :

2011/01/28 (Fri) 17:37:50

龍宮神示(8)

-双名神示 歌籠-



     
     時はそもいつとは知らず      時もなく月日も見えず


     海陸の定めも分かず        野山もなく人は生まれず


     大いなる静けさありて       大いなる神はいませり


        その神に御名はなかりきその神の


          ほかには生けるものしなければ



     大いなる神は自ら         我はそも何ぞと問はぬ


     何一つ答ふるものは        たえてこそそこになかりき


     それのみかいづくを問ふも    はてもなき虚空あるのみ


        はてもなき虚空にみちています神


          神が虚空か虚空が神か



     さびしさ耐え難たければ     思いみち言葉いだしぬ


     あおうえい、あおうえいとぞ    霊こごりて神言葉生まれでぬ


     言の霊空に渦なし         渦なして火とぞもえけて


        思いきや我がひとりのみある空に


          美(くわ)しの火玉生まれつる幸



     神火(みほ)生まれてよるべさだまり  我はそも何ぞと又も


     神火玉に言問いましぬ      神火玉は何も答えず


     明々ともえまさりつつ       神姿を照らしまつりぬ


        言問へど言返りせぬ神の火は


          時ふるままにをとろえゆきぬ



     只ひとつのいのちの友と     たのみける美しの火玉


     燃え盛りさかり過ぐれば     とろとろとおとろえゆきぬ


     あおうえい、あおうえいとぞ   宣らすれど再び燃えず


        ああこの火遂に失するか限りなき


          ともの無明のかなしみや見む



     無限の時を歩むうち        実に逢ひ難き幸を


     得たる歓喜もいまははや     元の闇路にかえりゆく


     悲し火玉いましばし        とどまり我をなぐさめよ


        思いこり思い出づときしるしあり


           無垢清浄の霊の雄たけび



     離愁の涙惨然と         流れ落つれば自ら


     流れつどいてうみなせり     をとろえゆきし火の玉も


     水の精気のかよふ時      再び燃えて明けく


        明らけく照らす神姿御足辺の


          水の鏡に写る見ませり



     我が姿初めて見まし      我を知り宇宙を知りぬ


     大いなる我を悟りて       火と水の生起の次第


     つらづらと思ひたて       厳かに宣しいづるに


        まことなる二つの思い二つの凝り


          一に栄えてきわまり知らず


        火水(かみ)とこそ至高のものをとのふべし


          火水は宇宙の父母にありせば



     人の子は父母より生まる   父母はこれ神より生る


     神生みし神の父母あり     火と水の合気之なり


     合気の発するは之誠      誠生ずるは之空


     空は無にして初め知らず    初め知らざれば終局なし


     祖神は虚空に棲みて      虚空にいませり


     有象は無象を生まず      無象よく有象を生む


     故に無象に従えば有象栄え 有象に従えば即ち滅す


     水は火を止むことあたはず  火は水を滅することあたはず


     両極相結べば無に有を生じ  両極相争えば有を無に帰せしむ


     万有祖神に帰す        祖神の心中之に似たり


     万霊を愛し万物を育み     万霊を統べて万物を栄えしむ


     只和あるのみ


     大和円転初めて自在を得


     昭和十九年二月十九日      三雲龍三 取次

12:2011 :

2011/01/28 (Fri) 17:39:12

龍宮神示

-たま問答-

<< たま問答序歌 >>

天つみそらに満つる神      土のめぐみに満つる人
     
     
     相見ることはあらざれど      霊は父子なりなつかしや


     霊の御苑とうつしよの       境ひを閉ざす因果の扉


     人自らが閉ざしたる        憂ひの扉三千年の


     春花秋草雪に月          めぐる綾糸乱れとけ


     苔むす岩戸打開く         父子兄弟や母姉妹


     逢身うれしき安河の        清き泉を掬む神子が


     今日ぞ名乗らむ霊の縁      縁しの糸をたぐりよせ


     共に仕へむ祖神の        光尊き御前に


     神と神の子人の身の       いまはひとつにうちつどひ


     讃めたたへなむ神光を      共に浴びなん神愛を


     まことの道は一すじに      これより別るることもなし


     末とこしへに神恩に        應へまゐらす霊磨き


     共にはげみて真澄なし      一日も早く神々を


     安んじよろこびまいらせよ    知るも知らぬも霊の縁


     霊と霊とはいますでに      逢ひてかはせる霊問答


     神旨のままに歌ひあげ      み霊のもとにをくるなり


     親子はらから読みをくり     霊のつなぎと身のつなぎ


     目出度く結ひてをさめなむ


     みことのままにをさめなむ
13:2011 :

2011/01/28 (Fri) 17:41:04

龍宮神示

-たま問答-

<< 一、道 >>

先ず問はむ この世に霊止と生まれいで
     
       生涯何を 為さむとするや
     
     
               何ものも 為さずともよし 為すといふ

               ことすら知らぬ 霊止とある身は





       されば我 無為に生れて 無為に生き

       無為に去るとも 道にかなふや


               萬人に おのおの別の 道はあり

               かなふかなはぬは 愚なる問かな





       凡々と 無為徒食にて 生涯を

       送りて何の 意義の存すや


               時を経る 時を踏みゆく 大いなる

               業あることに 気の付かざるや





       くに民の 皆ことごとく 無為の日を

       過さば神国 亡び去らずや


               くに民が 皆ことごとく まことなる

               無為に為す時 神風吹くなり





       神風吹く ことを頼みて 無為の日を

       送りて霊止は 要なきものか


               千萬の まこと心の よらざれば

               神ははたらく 術なきものぞ





       されば霊止 まこと心に ならんとす

       かく努力つとむるを 尚も無為とや


               為すとふは 創りなすこと 霊磨く

               霊止のわざをば 為すとは云はず





       霊止は 只ひたすら澄みて 霊清め

       まこと心に なれと宣すや


               実に左なり 己れ自から 澄み切りて

               玉となること 易くあらねど





       喰ひて寝て ひたすら身霊 清めつつ

       時過ごすことに 価値のあるとは


               時こそは 宇宙の意志ぞ 刻々の

               意志を悟りて 行くが霊止なり





       喰ひて寝て 霊磨きつつ 時を経る

       他に盡すべき なりはひなきや



               なりはひは 霊の因縁 それぞれに

               定めたるもの 望むべからず





       なりはひの 命くだらずば おのおのの

       勝手気ままに 振舞ひてよきや


               人は実に 神業(わざ)なき時ぞ 大事なり

               ひたすら人の 道をはずすな





       常々は 人の道をば 守りゆき

       命ある時は 神則(のり)を守るや


               道二つ あれど一つに 為すべきを

               違ふことあり 末の世なれば





       萬民に 道萬種あり 一つなる

       人の道とは 矛盾せざるや


               一つなる 道とはしるべの 事なりき

               しるべに向ふ 千萬の道






14:2011 :

2011/01/28 (Fri) 17:42:41

龍宮神示

-たま問答-

<< 二、たま磨き >>

ひたすらに 神を念じて 霊澄ます
     
       吾われに苦しみ あるは何ぞや
     
     
               苦しみは 磨くべき具ぞ これなくば

               眞澄玉なす 霊止とはならじ





       されば苦を もとめて吾を 苦しみの

       底に陥すが 最もよきや


               苦しみに 澄ましむものと 濁らする

               二つありけり 強ひてもとめな





       苦しみに いろいろあれど 霊澄ます

       苦しみとふは いかなるものや


               天来の 苦を第一に 待つぞよき

               慾の苦体の苦 共に避くべし





       されば霊 磨き澄ましむ ことだにも

       霊止は天命の ままになせとや


               魁けて 行く人もあり 立ち遅れ

               行く人もあり 運命のままに





       霊磨く ことを伝へて 神国人(みくにびと)

       教え導く ことはいらぬや


               僭越の 限りなりけり 神命の

               あらざる限り 絶対にすな





       霊磨く ことも神命 伝教も

       又神命とは 人ははかなき


               愚かなり 何を嘆くぞ 時のもつ

               眞義を知らぬ 證據なりけり





       然れども 神ながら 神ながらとて

       あるままに まかせし人を悪しとのしりしは


               要するに 生れ赤子の その如く

               眞澄ごころに なりての上ぞ





       今更に 生れ赤子に なるとふは

       いかなることを すればよろしや


               一切の 概念といふ 俗悪の

               衣をぬぎすて 眞を見ること





       概念を 去るとは容易の 事ならず

       例へばいかなる ものをば指すや


               例ふれば 神は宮居の 中にのみ

               をはすと思ふ 愚かしきこと





       人は皆 生れ赤子に なりし時

       霊磨きてふ わざは終るや


               左にあらず 生れ赤子に かへるとは

               霊磨く道の 出発点たるのみ





       かく見れば 霊磨きてふ 人のわざ

       容易ならざる ものにあるかな


               実に左なり そのわざすらも 生涯に

               なし得ざる身の 何をするとや
15:2011 :

2011/01/28 (Fri) 17:47:16

龍宮神示

-たま問答-

<< 三、神 >>

神々の いませることを 疑ふに
     
       あらねど神とは いかなるものや
     
     
               神霊は 宇宙の大に 充満し

               宇宙萬象 これ神の体(み)ぞ





       八百萬 神と申して それぞれに

       澤にゐませる 神々は何


               宇宙 一神一元なり もろもろの

               神は神の 動の御名(みな)なり





       神々は 宮居のうちには ゐまさずて

       いづこの空に ましますものか


               神の霊 宇宙に満ちて あるものを

               などて宮居に まさぬといふや





       かくまさば 宮居といふは 偶像の

       打くだきても よろしきものや


               実に左なり されどそこには 因縁と

               いふものあれば 侵すはかしこし





       因縁の ますとはいかなる こころにや

       何に因縁 ましてゐますや


               霊止の身の 知らざる神世(みよ)の

                               古(むかし)より

               その土にこそ 因縁はあり





       土にのみ 因縁ありて 人その他

       樹木などには 因縁なきや


               雑霊は そのことあれど 神々は

               只土にこそ 因縁のあり





       神々は 因縁深き 宮地より

       世に出でまして 働きますや


               働きは 霊止の肉宮 あるものぞ

               宮居は神の 静のすがたぞ





       土にこそ 神の因縁 こもりゐて

       霊止の肉宮 因縁なきや


               否深き 因縁ありて それぞれの

               霊止を定めて 神業(みわざ)なすなり





       因縁の あるは尊き み霊もつ

       神人とこそ 申すべき身や


               その如き 人もあれども 人目には

               悪人もあり 善悪は問はず





       神々の かくゐますれば まざまざと

       現れ給ひなば 人信ずるを


               おのが目を みずからとぢて見じとするを

               いかで目に見す 術のあるとや





       神々が 物象化して ましまさば

       かくも世界は 嘆かぬものを


               何いふぞ 汝(なれ)が目に見る ことごとく

               更に汝すら 神の体(み)なるを





       我は知る この肉慾の けがれたる

       この身が神の 体(み)とはをかしも


               善悪と 正邪は人に のみありて

               神にはかかる わずらひなきを





       いろいろに 伺ひまつれど 更々に

       をぼつかなしも 神の本元


               空間と 時間の世界の 人の知は

               知るよしもなし 只光と知れ





       光りとのみ 知る由もなき 神々に

       仕へまつるは はかなきことかな


               神ありと 知りにし上に 愚痴をもて

               何知らむとや それにて足るを





       雑霊と 神とのけじめ 立てがきて

       いかに判じて 進むべきはや


               それも皆 因縁ありて 立て分ける

               霊止のありせば それに依るべし





       たよる人 なき時迷ふ ことあらば

       いかに判じて 定むべきとや


               神霊は ひとたび綱を かけたれば

               生涯はなたじ 心安めよ





       宣すまま 理非曲直を 考えず

       素直にあるが よろしきものや


               実に左なり 神命ひとたび たまはらば

               善悪正邪 問ふこといらず
16:2011 :

2011/01/28 (Fri) 17:49:03

龍宮神示

-たま問答-

<< 五 、写し 結び ひびき しらべ >>

天と地は 合せ鏡と 申すなり
     
       合せ鏡の そのわけいかに
     
     
               霊顕は 二つそろいて 玉をなす

               玉なす為に 写し合うなり





       写すとは 天象地上に 写す意や

       地上の天に 写す意(こころ)や


               写すとは その順逆の 二つをば

               含めて言へる ことばなりけり





       順逆は 正邪善悪の 意味にして

       順が正しき ものにあらずや


               神々に 正邪善悪 なけれども

               天を地上に 写すが序なり





       逆さまに 写すといふは いかな時

       起るものかな いとも不思議ぞ


               上曇り 下澄むことの ある世には

               逆も自然の 理とはなるなり





       天界を 地界に写す 神業(かむわざ)は

       霊止のかかはる ものにあらぬや


               神と人 相よりつくす わざなりき

               人は尊き 地の神寶





       写すとふ わざはいかなる 手段にて

       いかに地上に 現はすものか


               天津辺の 心を知りて 地上界

               こころの形 ととのへること





       こころのみ ととのへたれば 形には

       出さずともよき ものにしあるや


               左にあらず 先づこころをば 整へて

               こころ象(かたち)に 表すぞ結(けつ)





       結といふ わざは写しの その如く

       神人よりて なしとぐものや


               霊止のみの なすべきわざぞ 写と結に

               移すに霊止の 創意働く





       写終へ 結び終へなば 天地は

       丸く治る ものにしあるや


               その上に 響調(ひびきしらべ)の 二法をば

               添へてゆかねば 宇宙はならず





       そのひびき しらべといへる 二つをば

       くだきて云へば いかなものにや


               ひびきには ひろまりをさまる 二つあり

               調べは宇宙の 序をたもつもの





       響調は 神のみの 用ひたまへる

       はたらきなりや


               霊止の身も 地上のかぎりは 用ふべし

               神は宇宙に くまなく用ふ





       写と結と 響と調べ ことごとく

       打そろひなば 宇宙はなるや


               このものは 皆手段なり 死物なり

               霊なき体に 等しかるべし




17:カカシ :

2012/01/21 (Sat) 12:04:50

2011さん。

ご協力ありがとうございます。

助かりました。

18:掲示 :

2022/01/22 (Sat) 21:53:59

改めて読み直し。


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