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卯の端其根日記

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(ホツマツタヱは暫くお休み)

潜在意識の力 - 乃

2022/09/21 (Wed) 08:04:51

幻想に反応せず、かわりに思考で現実を創造します。

潜在意識の利用の仕方を紹介します。

以下、引用

Re: 潜在意識の力 - 乃

2022/09/21 (Wed) 08:05:48

人間には日常生活に起きている時間に使っている意識、つまりは表面意識、顕在意識といった頭で考えたものと、感覚的で、霊的と言ってもいい潜在意識のふたつの意識を持ち合わせている。

潜在意識は、心の奥にある倉庫、つまりは人間の知恵とか力といったものを保存している場所に存在するものだ。

本書では、潜在意識の力がもたらす不幸なものを幸福に変えていく方法や未来創造を分かりやすく私自身の体験談や身の回りに起きた実例を交えながら解説していきたいと思う。

読み終わった後には、“潜在意識で思ったことは必ず実現する”と確信が持てることであろう。

体験談-(1) 職探し - 乃

2022/09/21 (Wed) 08:06:48

かれこれ30年近く昔の話になってしまうが、家庭教師のアルバイトをしながら、奨学金でギリギリの生活をしていた大学院生の頃の話だ。就職活動で何十社も面接試験を受けたが、大学院に進んでキリスト教神学を学んでいた者を採用する企業はひとつもなかった。このまま就職活動を続けても仕事は見つからないという焦りの日々を送っていた。

そんな折に、渡部昇一先生の本で学んだ「マーフィーの潜在意識の原理」を使ってみようとふと閃いたことがあった。マーフィーの潜在意識の使い方では、まず願いを”ありありと”イメージするように言う。この時点の私の場合だと、何でもいいから仕事をしたいという思いだけだった。しかし、それではイメージにならないので、上智大学の学生の時代に留学していたアメリカで働いている自分の姿をイメージすることにした。このことは鮮明な印象が強く残っていたので、心に絵を描きやすかった。特に、英語を使って仕事をしている自分の姿を描くことにした。

毎日繰り返し心に絵を描きながら、修士論文と就職活動の2つを行う日々。そんなある日、国際基督教大学である講演会が行われた。内容は「真の国際性」をテーマに、アメリカの金融機関のメリルリンチ社の日本法人社長が、幕末のペリー来航の話をするというものだった。その中でもっとも私が興味をひかれた部分は、「真の国際性とは英語が話せるとか、欧米文化を知っているとかではなく、何かの分野で世界市場に通用する国際競争力を持っているか」ということだった。例えば、トヨタの車は世界一の国際競争力を持っている。これこそが”国際性”そのものなのだ。その話に私は目からウロコが落ちる思いがしたことを今でも鮮明に記憶している。

講演後にその社長さんに質問に行くと、「明日大手町のオフィスに来なさい」と言われた。その意味が理解できぬまま、翌日会社を訪問すると、いきなり面接試験が用意されていた。実のところ、私はその社長さんの国際性の話に感動はしたが、就職活動中の身でありながら、この会社が何をしているのか何の知識も持ち合わせていなかった。ましてや株式、債券、金利、為替等、全く関心もなかった。

しかし、そんな関心のない私だったが、数回の面接の後、内定をいただくことになった。大学院修了後にその会社に入社、すぐにニューヨーク本社のジャパンデスクと呼ばれる日本企業担当の部署に派遣された。気がつくとウォール街で英語を使って仕事をしている自分がいた。

あの講演会に出る前に毎日イメージしていたのは、 どんな業種かも全く決められず、ただアメリカで英語を使って仕事をしている姿に過ぎなかったのだが、形は予想外にせよ、その通りになっていることに驚きを感じざるを得なかった。潜在意識の力とは、これほど凄いものなのかと思い知った瞬間だった。それからというもの、その後の人生で「ここぞという時」にこの力を使うべきだと自分に誓うことにした。

体験談-(2) 顧客リスト - 乃

2022/09/22 (Thu) 05:06:09

私が勤めていたアメリカの投資銀行は、その当時、日本の大手金融機関のみを顧客として、中小の金融機関、地方銀行は相手にしていなかった。なぜなら、営業マン全員大きな営業目標、いわゆるノルマがあったため、小さな会社を相手にしていては、ノルマ達成はできないといった理由からだ。

私は先輩たちが大手顧客を相手に取引している中で、新たな顧客開拓をするしかなかった。そこで、地方銀行と中小保険会社を廻った。先輩たちからは、そんなところを相手にしても、微々たる注文しかないのでやめとけと言われた。確かにその通りだと思ったが、会社の看板だけ大きく有名でも私自身は何の経験もなかったので、小さな金融機関との取引から始めた方がいいのではと考えた。しかし、当時、中小金融機関は外国株への投資はリスクが高く、ほとんど手を出すものはいなかった。担当者は興味があっても、その上司や会社の幹部は保守的でリスクを取ろうとはしなかったからだ。そういった理由で廻っても廻っても何の成果も当然のことなし。

ここで潜在意識を使うことにしてみた。そして、自分のノルマを達成することを潜在意識に落とし込んだ。

英語でProspective clientという言葉がある。クライアントになっていないが、将来そうなる見込みがある相手のことを言う。私は、このProspective clientのリストを作った。全国各地の地方銀行、普通は聞いたことがない保険会社、見たことがない証券会社。実際にはとても見込みがあるとは思えない会社ばかり。それでも、そのリストを毎日見ることにした。朝起きた時、夜寝る前。いつもベッドの枕元にそのリストを置いた。

すると、相変わらず何の見込みもなく、小さな会社を営業で廻って、オフィスに帰った時、ある地方銀行から初めての注文が来た。小さな金額の注文。先輩たちからはそんな小さな注文を受けても大した利益にならないぞ、と冷ややかな目線を注がれたが、その注文を私は進めた。

ところが、その注文を境に、次々に新たな顧客から注文が舞い込んだ。なんと毎日枕元に置いて見ていたあのリストの中の会社ばかりだ。

そして、ある日、私が属する営業チームの緊急ミーティングが開かれた。先輩営業マンの一人が経営陣とトラブルになり、突然解雇されたことがそこで知らされた。その上、その人が長年担当していた大手生命保険会社の担当に何と私が指名された。異例の抜擢に周囲も私も驚いた。もちろんこの大手生命保険会社は私のリストに載っていない超がつくほどの大手だ。私の経験と知識ではとても十分なサービスができる相手ではなかったにも関わらず、ちょうどそのタイミングで会社が超ド級の新商品を編み出し、その会社は飛びつくことになり、私は一気にノルマを達成することができた。

このことも潜在意識のなせたことだと思っている。小さな会社のリストを作り、毎日、朝と夜に繰り返し見直した。潜在意識を毎日イメージし、繰り返し繰り返し行ったことが“引き寄せ”を生んだと感じることができた。

体験談-(3) 言い訳の人生を生きるな! - 乃

2022/09/23 (Fri) 05:03:14

まもなくして、アメリカの投資銀行からイギリスの投資会社に移った。理由は、アメリカの会社である程度の自信ができたので、今度は日本人がいない会社で自分の価値を試してみたいということだった。

ロンドンの伝統ある投資会社で新規開拓の営業を担当することになった。成功してみせるという自信満々だったが、ちょうどその頃、ヨーロッパは大不況に入る。同時に私が入った会社が経営陣の失敗によって、イギリスのマスコミに叩かれ、会社の信用はガタ落ち。社長がアメリカ人に交代し、ロンドンの本社に乗り込んできた。イギリス人の幹部たちは、アメリカ文化に乗っ取られることに戦々恐々だった。そして、次々とリストラが始まった。毎週同僚の誰かがクビになっていった。私の仕事の成績も全く上がらず、いつ自分のクビが切れられのではないかと暗い未来ばかりを考える毎日になった。

その頃、座して死すわけにはいかないと思い、ロンドン市内にあった日本語専門の書店で、人生の指針となる本を探した。そこである本を見つけた。目次を見ると、人生の苦難、困難、逆境を利用して、自分を成長させる方法が書かれていることが読み取れた。単なる成功法則の本ではなく、目先の結果を成功・失敗だと一喜一憂せず、どんな結果でもそこから自分の成長の材料を見つけ出す。その結果、人生には失敗というものがなくなり、成功しかないことになる。ウルトラ・スーパー・ポジティブな思考法に、腰を抜かすほど驚いた。そして、これを実践してみたいと思った。

その実践のポイントが、「言い訳の人生を生きるな」ということだった。自分の仕事の結果がでないのは、ヨーロッパ経済が大不況だから、自分の会社がマスコミで叩かれているから、だから誰がやっても上手くいくわけがない、自分の責任ではない。そういう言い訳を自分の心の中で言い、廻りの人たちに対しても実際に口にしていた。

しかし、この常勝思考を使って、あの潜在意識の力を引き出すことを思いついたことで、私はこの言い訳を一切やめることにした。

不況の中で狂乱的に上がるインフレ率、信用をなくしてどんどん離れて行く顧客。この現象の中に、自分と会社が成長するために絶対に必要な教訓があるはずだ。そこで、私は会社の危機を救うような新規のビジネスを獲得して、オフィスの同僚やボスたちが喜んでいる、そんなシーンを心に描くことにした。これを描けるようになるには、常勝思考の考え方がどうしても必要だった。

そして、3ヶ月、潜在意識を信じながら、毎日その絵を描きながら、新しい顧客を求めてロンドンの会社を廻り続けた。すると、ある日一本の電話がきた。日本のある小売業の会社だった。それまで金融機関ばかりを相手にしていたが、非金融機関のその会社は初めて国際投資を行うことになり、その投資アドバイザーに私の会社を指名してきたのだった。その注文を受けた時、それまで長く暗いムードだったオフィスで歓声が上がり、笑顔が広がった。「言い訳の人生を生きるな」。この言葉が自分の一生の指針になった。

コラム(1) 元大リーガー・長谷川投手の日記 - 乃

2022/09/24 (Sat) 07:19:53

日本の球団を経て、アメリカ大リーグで9年間の実績を残した長谷川滋利投手。彼が一度もマイナーリーグに落ちることもなく、メジャーリーガーの一線で活躍できた裏にはこんな話がある。

自分に新しい課題を与える。毎日、日記をつける。その日にどんな練習をしたか、失敗、成功、なぜ失敗したか、なぜ上手くいったか、そのままにしておかないで、原因を考えて日記に記録する。そうすると、野球に対する考え方が変わり、プレーの質が向上する。

長谷川投手は対戦相手のメモを毎回の登板ごとにこまめに付けることを引退するまで続けた。書くことでより深く記憶が刻まれ、次の対戦に役に立つと考えていたからだ。目標・ゴールを設定してただ思うのではなく、書くことで振り返った時に反省でき、得られることがたくさんあると信じていたことにもよるのだ。つまり、書くことで自分にウソをつけなくなる。よく目標が達成できないと、勝手に目標を下げて目標が達成できたと自分を納得させようとしてしまうものだ。頭の中で勝手に目標を書き換えてしまうからだ。目標を書いているとそれを防げる。また、自分に妥協できなくなる。

ある試合で彼はサヨナラホームランを打たれたときのことだった。息子さんがその瞬間をテレビで見て泣いていた。しかし、この日記をつけていることで、野球も人生もいつも上手くいくわけではない、ということを息子さんにも感じてもらえればいいと思ったそうだ。

この日記をつけた年に「オールスター戦に出場」することができた。メジャーリーグのオールスター戦に出場できるのは、ほんの一部の選手であり、過去日本人で出場できたのは、野茂、佐々木、イチロー、松井、そして長谷川投手だけだ。日本での実績と比較しても彼にとってはオールスターに出場することがいかに高い目線だったかが分かる。また、「プレーオフのマウンドに立つ」という目標を掲げて、これも夢を叶えることができた。日記をつけるということは、1日20分程度、自分の人生を振り返ること。

日記の効果は、その時の仕事の成果に必ず反映されるものだと思う。この習慣は一生続くかもしれない。

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