錦之宮神示を掲示します

卯の端其根日記

98153
失われた錦之宮神示を、集めて掲示。データをお持ちの方はご協力下さいませんか?
(ホツマツタヱは暫くお休み)

【大本神輸】(一) 1~10 - 掲示

2012/02/27 (Mon) 20:34:19

 みろくのかみのおでましにおなりなさるじせつがまいりておほくにとこたちのみことがでぐちのてでかきしらしておいたよがせまりてきたから、せかいぢゆうのじんみんがかいしんをいたさねば、このよではもういっすんもさきへはいけず、あとへもどることもできんぞよ。

 このよのくることをめいじ二十五ねんからいまにつづいてしらしてをるのにチットモききいれがないが、くにどうしのひとのころしあいといふやうなこんなつまらんことはないぞよ。


 ひとりのじんみんでもかみからはたいせつであるのにくっきょうざかりのじんみんがみななくなりてとしよりやこどもばかりのこしてあとさきをかまはずのやりかたであるぞよ。こんなおきなてんちのつみををかしてまだひとのくにまでとらうといたしてをるのはむこさきのみえぬあくまのしょさであるから、どのくにがちゅうさいにでてもてんちのおほかみのおゆるしのなきこにはいつまでもらちはあかぬぞよ。でかけたふねであるから、どちらのふねもあとへひくこともならず、すすむこともできず、まことのちゅうさいもはいらず、つまらんことができるから、がいこくのしゅごじんにながらくのあいだきがつけてありたぞよ。

 あまりががつよいとしくじるぞよといつもふでさきできがつけてあるぞよ。

 どこにもまけんつよいくにであるとおもふてわれよしのやりかたでがんばるとしぞこなひができるからともうしてくどうしらしてありたがいまのありさまはそのとほりではないか。これからはじんだいのよになるからいままでのやうにあまりがんばるとわれのおもふやうにはこのさきはちょっともいかんぞよ。がのつよいしゅごじんほどおもはくはたちはせんぞよ。

 これまでのこころをさっぱりいれかへてしもふててんとちとのもとをこしらえたおほもとのかみへおわびをいたさねば、われのいちりきでやりてをるとおもふのがおほまちがひであるぞよ。なにごともみなかみからのことであるからとりちがいをいたすなよとさきにきをつけてあろうがな。


 われいちりきでしてをるとおもふてをることをみたまのしょうらいいんねんだけのことをてんちのかみからさせられてをるのであるといふことがはっきりとわかるよがまわりてきたのであるから、これまでのあくのしゅごじんのやりかたもくぶくりんまではトントンびょうしにおもふやうにきたなれどモウくぶくりんであくのみたまのやりかたはりんどまりとなるのがいまのことであるぞよ。いままではあくのみたまのはのきくじせつでありたぞよ。これがくらがりのよでありたぞよ。

 このさきはがくやちえやぶつではくにはたたんぞよ。いちにちもはやくおうじょういたさんとせかいのものごとがおくれておるからふでさきでいつもおなじことをきをつけるぞよ。むこふのくにのありさまはふでさきどうりになりてきてをるからにほんのくにのしゅごじんにはやくわからんとたてかへがじふにねんおそくなりてをるから、なにかのことのじっちがはじまると、まだまだせかいにははげしきことがくるぞよともうしてあるがいちどもうしたことはちがゐはせんぞよ。よのもとからかみはよくわかりておるのであるからむこふのくににあれだけのことがあるのににほんのじんみんはわれさへよけらくにはどうなりてもかまはぬとはまるきりけものであるぞよ。かみのじきじきのよきみたまをもろふてをるからはすゑにはかみにもまつられるけっこうなものでありながらひとはこけようがたおれようがわれさえよけりゃよいではばんぶつのちょうとはまをされんぞよ。

 せかいはいまがめぐりのしゃくせんなしであるからめぐりのひどいところほどきびしきいましめがあるぞよともうしてしらしてあるがこのせかいはあとにもさきにもないみせしめがでてくるぞよ。

 よういをなされよよのたてかへはさらつのあらいかへであるから、みろくのかみのよにたちかへりてまんごまつだいぜんひとすじのよになるたふとひことのはじまりであるからみなのじんみんのおもひがちがふてあるぞよ。あやべのおほもとはいまではそまつなとこであるなれどこのひろいせかいにほかにまたとないおほかみのよのもとのたふとひとこであるからすっくりわけてみせたならばあまりおほきなしぐみであるからおもひがおほちがいでびっくりいたすぞよ。てんちのビックリばこがあくぞよともうしてあるがこのビックリばこがあいててのひらをかやしたらどんなひとでもびっくりいたしてかいしんせずにはをれんことになるがそこまでいかんうちにチットわからんとつまらんことがあるぞよ。

 このおほもとににちにちかぶりついてをるものにチトはやくわからんとどこからもこれからはわかるしゅごじんがでてくるから、はづかしうなるぞよ。なにごとも、ちっとわかりてをらんとめんぼくないことができるぞよ。まんしんととりちがいがいちばんこわいぞよ。

 たれによらずまんしんするとわれのこころがたいへんゑらいやうにおもへて、ひとからみてをるとはながたこうてみにくいぞよ。

 はらのなかにまことさえありたなればどんなことでもできるなれどうへからみてよくてもこころのなかにまことがないとじっちのまことがじょうじゅいたさんぞよ。


【大本神輸】-02 - 掲示

2012/02/27 (Mon) 20:57:29

 おほくにとこたちのみことへんじやうなんしのみたまが、いつきのかみとあらはれて、さんぜんせかいのさんだんにわけてあるみたまを、それぞれにたてかへたてわけて、めはなをつけて、まずこれでらくじゃともうすやうになるのは、たいもうであるぞよ。にどめのよのたてかへは、いくさとてんさいとですむやうにおもふて、いまのじんみんはエライとりちがいをいたしてをるなれど、いくさとてんさいとでひとのこころがなおるのなら、らちようできるなれど、こんどのよのたてかへは、そんなたやすいことでないぞよ。むかしからたてかへはありたなれど、くさいものにふたをしたやうなことばかりが、してありたので、こんぽんからのうごきのとれんたてかへは、いたしてないから、これまでのやりかたは、みたまはなほわるくなりて、そうぐもりになりてをるから、こんどはいちばんに、みたまのよのにどめのたてかへであるから、なににつけてもたいもうであるぞよ。これほどくもりきりてをる、さんぜんせかいのみたまを、すいしょうのよにいたして、モウこのさきはくもりのかからむやうに、まんごまつだいよをもちていかねばならんから、なかなかほねのおれることであるぞよ。

 てんちのおほかみのおもひと、じんみんのおもひとは、おほきなちがひであるから、なににつけても、こんどのしぐみは、じんみんではくみとれんぞよ。じんみんひとりをかいしんさせるのにも、なかなかにほねがをれようがな。こんどのにどめの、よのたてかへは、むかしのはじまりからできてをる、みたまのたてかへたてなおしであるから、わるいみたまをのうにしてしもふてするなら、たやすくできるなれど、あくのみたまをぜんへたてかへて、このよいっさいのことをやりかたをかへて、のりかへて、さらつのよのきっすいの、もとのやまとだましひにしてしまふのであるから、いまのじんみんのおもふてをることとは、てんちのおほちがひであるから、まいどふでさきできをつけてあるぞよ。

 あやべのおほもとのなかには、せかいのじんみんのこころのとほりが、みなにしてみせてあるぞよ。おほもとはせかいのかがみのでるところであるから、せかいにあるじっちしょうまつが、みなにさしてみせてあるから、いろいろとしんぱいをいたしてをるなれど、どんなかがみもしてみせてあるから、せかいがよくなるほど、このおほもとはよくなるぞよ。いまではモチト、なにごともおもふようにないのであるぞよ。

 せかいのことが、みなおほもとにうつるから、それでこのなかから、をこないをよくいたさんと、せかいのおほもととなる、とうといところであるから、なにごともふでさきどほりにししていかねばならんぞよ。これまでのよのやりかたは、にほんのくにではもちゐられん、がいこくのごくあくのやりかたに、かわりてしもふてをるのを、めくらつんぼのやうなにほんのじんみんは、しらずしらずに、させられてをりたのであるから、わからんのはもっとものことであるぞよ。にほんのかみがだきこまれて、かみのせいしんがくるうてをるのであるから、じんみんがわるふなるのはあたりまへであるぞよ。

 モひとつこのさきをあくをつよくいたして、このなりでよをたてていく、どいらいしぐみをしてをるなれど、モウあくのみたまのきかむじせつがまわりてきて、わるがみのおうぜういたすよになりてきたから、われのくちからわれがたくみてをりたことを、さっぱりはくじょういたすよになりたぞよ。

 てんちのごせんぞさまをおしこめておいて、このよにこわいものなしで、もとのおほかみさまの、ひかりのでぬやうにいたした、ごくあくのかしらであるといふことを、なにもはくじょういたして、ぜんへたちかへりてどんなはたらきでもいたすともうしてをるなれど、…………

 ほかのみたまがいったいらにあくになりきりてをるから、これをぜんひとつのみちにあゆまして、よをたてなほすのは、もとのせかいをこしらへるよりも、なにほどおほきなほねがをれるかしれんぞよ。

 このたいもうなさんぜんせかいのたてかへを、ちいさいことにとりて、おほかみのちからになるしゅごじんはないぞよ。これほどウジャルほどしゅごじんはありても、みなおもひがちがふから、なにかのことがおそくなりてをるぞよ。おそくなるほど、せかいぢゆうがなんじふとなりて、あとへもさきへも、てもあしもとりつくしまもなくなるぞよ。

 せかいのみたまがくぶまであくになりて、いままでよをもちあらしてきたしゅごじんに、かいしんのできかけが、どのやうにもできんから、かみもこらへぶくろをきらして、いっさくにいたせばはちくぶのみたまがなくなるし、かいしんいたさすまがモウないし、これほどこのよにたいもうなことは、むかしからまだない、こんなんなにどめのよのたてかへであるのに、なにもわからぬやくざがみにつかはれてをると、なにもわからんぞよ。

 まことのぎょうもいたさずに、てんちのせんぞをなくして、あくのやりかたでせかいのかしらになりて、このさきをあくをモひとつつよくいたして、【まぜこぜで】やりていことの、しょはつのもくてきどほりに、ここまではとんとんびょうしにおもしろいほどのぼりてきたなれど、このひのもとには、かみのふかいしぐみが、よのもとからいたしてありて、にほんのしぐみどほりにくぶくりんまできたぞよ。

 わるがみのしぐみも、くぶくりんまではきたなれど、モウりんどまりとなりて、さきへいくこともできず、あとへもどることもできんのがいまのことであるぞよ。しほうだいのわれよしのやりかたで、まつだいのよをあくでたてていことのもくてきが、いままではおもしろいほどのぼれたなれど。

 にほんのくにには、チットほかのみたまにはわからんしぐみがしてあるから、ひともよしわれもよし、うへしたそろふていかねば、くにのとりやいをするやうなみぐるしいしょうらいでは、よはながくはつづかんぞよともうして、ふでさきにだしてきをつけてあるぞよ。このよは、ぜんとあくとをこしらへて、どちらで、このよがたつかといふことを、まつだいつづかせねばならんよであるから、なにごともてんちからさしてあるのであるから、われがしてをるのなら、なにごともおもふたやうにいけんならんのに、どふしてもいけんのが、かみからみなさせられてをるしょうこであるぞよ。ぜんのみちは、くろうがながいなれど、このさきはまつだいのよをつづかすのでなかなかにねんにねんがいるぞよ。

 ぶつじはあくのやりかたでありたぞよ。モウこれからは、ぶつではおさまらんぞよ。

 ぜんのぎょうはながいなれど、ぜんのほうにはこのよになにひとつしらむことのないやうに、よのもとからぎょうがさしてあるから、このさきはあくでしほうだいにぎょうなしにでてきたしゅごじんがつらくなるぞよ。どんなこともしておくと、なにごともこばれるなれど、ぎょうなしのしゅごじんにつかはれてをると、よのしまひのはじまりのごようはつとまらんぞよ。ぜんとあくとのかわりめであるから、あくのしゅごじんはジリジリもだへるやうになるから、いちにちもはやくかいしんいたして、ぜんのみちにたちかへらねば、モウこれからはびんぼうゆるぎもささんぞよ。ぜんのしゅごじんは、かずはすくないなれど、どんなぎょうもさしてあるから、サアいまといふやうになりてきたをりには、なにほどはげしきことのなかでも、きらくにしんかいのごようができるから、いちりんのおてつだいで、にほんのよのおほもとには、かんじんのときにまにあふしゅごじんがこしらへてありて、せかいのとどめをさすのであるから、にほんのくにはちいさうても、おほきなくににはまけはいたさんぞよ。にほんは、せかいからみれば、ちいさいくにであれど、てんとちとの、しんりきのつよいもとのせんぞのかみが、さんぜんせかいへあっぱれとあらはれて、ごかせいあるから、かずはすくなうても、しょうみのみたまばかりで、どんなことでもいたすぞよ。なにほどにんずうがおほくても、なんのやくにもたたぬうじむしばかりで、よいことはひとつもようせずに、じゃまばかりをいたすから、せかいのものごとがおそくなりて、せかいぢゆうのこんなんであるが、まだきのつくしゅごじんがないゆえに、いつまでもふでさきでしらすのであるぞよ。

 てんちのごおんもしらずに、われよしでここまでのぼりつめてきたあくのしゅごじんに、かいしんのさせかけができんので、なにごともおそくなりて、そうぞこないにうへからしたまでのなんじふとなるから、めいじ二十五ねんからいまじゃはやじゃともうして、ひつかけもどしにいたしてきのつくやうにしらしても、もとからのおもひがおほまちがひであるから、せかいのたてかへのくぶくりんとなりたところで、ヂリヂリまふことがみえすいてをるから、きをつけるぞよ。

 てんちのせんぞの、おもひのわかりてをるしゅごじんと、じんみんは、いまにないぞよ。これほどくらがりのよのなかへ、よのもとのしょうまつのいきがみがそろふてあらはれても、こはいばかりでこしのぬけるものやら、あごがはずれてさっそくにはものもよういはんやうなしゅごじんや、じんみんがたっぴつできるばかりで、かみのめからはまにあひさうにないぞよ。

 わかりたみたまのやどりてをるにくたいでありたら、どんなしんとくでもさずけるから、このしんとくをうけるみたまにつかはれてをりたら、いつかにもてんほどしんとくをわたすから、そのもろふたしんとくにひかりをだしてくれるじんみんでないと、もちきりにしてはてんちへもうしわけがないぞよ。



Re: 【大本神輸】-03 - 掲示

2012/02/28 (Tue) 13:19:28

 おほくにとこたちのみことが、めいじ廿五ねんから、なをのてでせかいぢゆうへしらしてあることが、たいしょう六ねんにはだいぶでてくるぞよ。せかいにめぐりのおほいくにには、それだけのいましめが、ビシビシとでてくるから、でぐちなをにモウいちどこまごまと、あるとこをもうしてやるぞよと、ふでさきにかいてしらしてあるぞよ。なにごともまえつまえつに、くどうしらしめ、きをつけてあるから、せかいからなにごとができてきても、かみとなをにおちどはモウあろまい。ふそくのあるしゅごじんは、かげでゴテゴテこごとをもうさずに、あやべのおほもとへでてきて、なんなりとといたきことがあるなら、ひらたうといてきかせるから、おほもとでひざをつきあはして、おはなしをしたりきいたりいたして、うちとけてしまはんと、じっちまことのしぐみはわかりかけがいたさんぞよ。…………

 いままでのよは、あくのさかえるよでありたから、あくのみたまがよにでてはばりちらして、みなわれがえらい、みたまがたかいともうして、なにもわかりもいたさんのに、あくのしぐみで、どこまでもいけるやうにおもふてしてをることが、さっぱりまちごふてをるから、これまでのことは、ちっとももちゐられんことばかりであるぞよ。しなをしはちっともできんから、じふねんあまりたてかへがのびたから、せかいはドウしやうにもコウしやうにも、うごきも、にぢりも、できんやうになりてきてをるから、たてかへがはじまるも、なにもかもいっしょにでてくるから、ふでさきにたびたび、おなじことをもうしてしらしてあるぞよ。かみはいちどもうしたことはちがはんのであるから、のばしてもはやくいたしても、あるだけのことはありてしまはねば、なにもなしにすむということはないぞよ。あくのみたまがドエライことをたくみてをるから、にほんのくににも、かうなりてくるのがみゑすいてをるからぜんひとつのみろくさまと、ちのせかいのくにとこたちのみことと、てんちそろふてまつだいのことがしぐみてあるから、ビクリともいたさんぞよ。なんべんもうしてもちがはんことばかり、ちっとでもちがふやうな、あさいしぐみはいたしてないぞよ。どちらのしぐみも、ゑらいしぐみであるなれど、にほんのくにはせかいのまんなか、せかいのどだいであるから、このどだいのうえに、みずももらさんしぐみがしてあるから、とちゅうにかはるやうなものではないぞよ。かみのもうしたことは、チットおそしはやしは、じんみんからみればあるやうなれど、かみがあるともうしたことはみなあるぞよ。

Re: 【大本神輸】-04 - 掲示

2012/02/29 (Wed) 16:06:40

 さんぜんせかいいちどにひらくうめのはな、うしとらのこんじんのよになりたぞよ。うめでひらいてまつでをさめる、しんこくのよになりたぞよ。にほんはしんどう、かみがかまわないけぬくにであるぞよ。がいこくはけもののよ、つよいものがちの、あくまばかりのくにであるぞよ。にほんもけもののよになりてをるぞよ。がいこくじんにばかされて、しりのけまでぬかれてをりても、まだめがさめんくらがりのよになりてをるぞよ。これでは、くにはたちてはいかんから、かみがおもてにあらはれて、さんぜんせかいのたてかへたてなほしをいたすぞよ。よういをなされよ。このよはさっぱり、さらつのよにかへてしまふぞよ。さんぜんせかいのおほせんたく、おほそうじをいたして、てんかたいへいによををさめて、まんごまつだいつづくしんこくのよにいたすぞよ。かみのもうしたことは、いちぶいちりんちがはんぞよ。けすじのよこはばほどもまちがいはないぞよ。これがちごふたら、かみはこのよにをらんぞよ。

 『とうきょうでしぐみをするがみのおわりやまとたましばくにぐにに、かみのはしらをくばりおかやま』 てんり、こんこう、くろずみ、みょうれい、さきばしり、とどめにうしとらのこんじんがあらはれて、よのたてかへをいたすぞよ。よのたてかへのあるといふことは、どのかんばしらにもわかりてをれど、どうしたらたてかへができるといふことは、わかりてをらんぞよ。くぶくりんまではしらしてあるが、モウりんのかんじんのことは、わかりてをらんぞよ。さんぜんせかいのことは、なにひとつわからんことのないかみであるから、さびしくなりたら、あやべのおほもとへでてまいりて、おはなしをきかしていただけば、なにもかもせかいひとめにみえる、しんとくをさずけるぞよ。

 かみとなれば、【スミズミ】までもきをつけるがかみのやく。うへばかりよくてもいけぬ、かみしもそろはねばよはをさまらんぞよ。ようふくではをさまらん、かみしもそろへてじんみんをあんしんさせて、まつだいつぶれぬしんこくのよにいたすぞよ。よういをなされよ。あしもとからとりがたつぞよ。それがにほんをねらふてをるくにどりであるぞよ。○○○までもじゆうにいたして、かみはざんねんなぞよ。にほんのじんみん、めくらつんぼばかり、かみがみてをれば、いどのはたに、ちゃわんをおいたごとく、あぶのふてみてをれんぞよ。がいこくじんよ、いまにうしとらのこんじんが、へんぽうがへしをいたすぞよ。

 ねにはのでるはゆきのした、うへもしたもはなさかねば、このよはをさまらぬ。うへばかりよくてもいけぬよ。したばかりよくてもこのよはをさまらぬぞよ。

 てん○○あやべにしぐみがいたしてあるぞよ。○○○、○○○をこしらへて、もとのむかしにかへすぞよ。ようふくをきてウロツクやうなことでは、にほんのくにはをさまらんぞよ。こっかいびらきは、じんみんがいつまでかかりてもひらけんぞよ。かみがひらかな、ひらけんぞよ。ひらいてみせう。とうきょうはもとのすすきのになるぞよ。ながうはつづかんぞよ。あづまのくにはひとはれののちはくらがり。これにきのつくじんみんはないぞよ。かみはせけるぞよ。このよのおにをおうぜうさして、じしんかみなりひのあめふらして、○○○ねば、せかいはしんこくにならんから、むかしのおほもとからのかみのしぐみが、じょうじゅいたすじせつがまわりてきたから、くろうはあれど、バタバタとらちをつけるぞよ。わかりたしゅごじんは、ひとりなりとはやくおほもとへでてまいりて、しんこくのごようをいたしてくだされよ。さるかわりにつとめあがりたら、まんごまつだい、なののこることであるから、かみからけっこうにおんれいもうすぞよ。せかいじゅうのことであるから、なにほどちえやがくがありても、じんみんではわからんことであるぞよ。このしぐみわかりてはならず、わからねばならずわからぬので、かいしんができず、よのたてかへの、まつだいにいちどのしぐみであるから、さっぱりがくやちゑをすててしもふて、うまれあかごのこころにたちかへらんと、けんとうがとれん、むつケしいしぐみであるぞよ。いままでのはらのなかの、ごもくをさっぱり、ほりだしてしまはんと、こんどのじっちまことはわかりかけがいたさん、たいもうなしぐみであるぞよ。

 うじがみさまのにわのしらふじ、うめとさくらは、でぐちなおのおんれいのにわきに、うゑさしたのであるぞよ。しらふじがさかえば、あやべよくなりてすえでみやこといたすぞよ。ふくちやま、まいづるはそとがこひ。じゅうりしほうはみやのうち。あやべはまんなかになりて、こんりんわうでよををさめるぞよ。あやべはけっこうなところ、むかしからかみがかくしておいた、よのたてかへの、まことのしぐみのじばであるぞよ。

 せかいくにぐにところどころに、よのたてかへをしらすかむばしらは、たっぴつあらはれるぞよ。みなうしとらのこんじんくにとこたちのみことのしぐみで、せかいへしらしてあるぞよ。 おほかたいきわたりたじぶんに、あやべへしょこくのかみ、しゅごじんをあつめて、それぞれのごようをもうしつける、とうといよのねのよのもとの、りゅうもんやかたのたかあまはらであるから、なにをいたしてもあやべのおほもとのゆるしのなきことは、くぶくりんでひっくりかへるぞよ。みなかみのしぐみであるから、われがわれがとおもふていたしてをるが、みなうしとらのこんじんが、ばかしてつこふてをるのであるぞよ。このかみはひとりてがらをしてよろこぶやうなかみでないぞよ。おほもとのしぐみのわかるしゅごじんでありたら、たがひにてをひきおふて、よのもとのたてかへたてなほしをいたすから、これまでのこころをいれかへて、おほもとへきてかんじんのことをきいて、ごようをつとめてくだされよ。さんぜんせかいのかみがみさま、しゅごじんどのにきをつけますぞよ。たにだにのおがわのみずも、おほかはへすえでひとつになるしぐみ。あやべよのもと、まことのかみのすまいどころ。

 からとにほんのたたかいがあるぞよ。このいくさはかちいくさ、かみがかげからしぐみがいたしてあるぞよ。かみがおもてにあらはれて、にほんへてがらいたさすぞよ。ろこくからはじまりて、モウひといくさがあるぞよ。あとはせかいのおほたたかいで、これからだんだんわかりてくるぞよ。にほんはしんこく、せかいをひとつにまるめて、ひとつのわうでをさめるぞよ。そこへなるまでにはなかなかほねがをれるなれど、さんぜんねんあまりてのしぐみであるから、にほんのかみにたちてをれるしゅごじんに、チットわかりかけたら、かみがちからをつけるから、だいじょうぶであるぞよ。せかいのおほとうげをこすのは、かみのもうすやうに、すなおにいたして、どんなくろうもいたすじんみんでないと、せかいのものごとはじょうじゅいたさんぞよ。かみはくどうきをつけるぞよ。このことわけるみたまは、ひがしからでてくるぞよ。このおんかたがおいでになりたら、さっぱりひのでのしゅごとなるから、せかいじゅうにしんとくがひかりかがやくかみよになるぞよ。たいしょうをあやべのたかあまはらのりゅうもんやかたに、○○さんならんことがでてくるぞよ。なかなかたいもうであれども、むかしからのいきがみのしぐみであるから、べつじょうはないぞよ。

 いったんたたかいをさまりても、あとのもんちゃくはなかなかをさまらんぞよ。かみがおもてにあらはれて、かみとがくとのちからくらべをいたすぞよ。がくのよはモウすみたぞよ。かみにはかてんぞよ。

Re: 【大本神輸】-05 - 掲示

2012/03/01 (Thu) 00:34:16

  出口なを 八十二歳

 みろくさまが、てんのはじまりのごせんぞさまであるぞよ。おほくにとこたちのみことは、ちのせんぞであるぞよ。『てんはちちであるぞよ、れいであるぞよ、ひであるぞよ。ちはみずであるぞよ、ははであるぞよ、たいであるぞよ。』

 もとのきっすいの、いちりんのすいしょうの、おほかみさまの、こんどにどめのよのたてかへの、おてつだいをなさる、たいもうなごようのかみさまであるぞよ。もとのきっすいのみたまは、かずはすくないぞよ。かずはなにほどたくさんありても、わけのわからん、まにあはんしゅごじんは、かへってじゃまになるばかりであるから、それでこのおほもとは、たかもすずめもいっしょにはよせんともうすのであるぞよ。このよに、まことほどつよいものはないぞよ。はらのなかにまことのあるしょうらいのみたまでありたなら、をんなでもひとのようせんことができるぞよ。それで、まことのこころになりてくれと、まいどふでさきにかいて、つづいてしらせるなれど、まことといふことは、いまのよにすくないぞよ。まことのみちへのりかへて、これまでのごくあくのみちを、ぜんひとつのまことのみちで、にどめのよのたてかへをいたしたら、ぜんひとつにかためてしもふて、まつだいつづかせるしぐみであるから、おほきなおもひのちがふ、しゅごじんがたっぴつあるから、それで、これほどむつケしいので、てまがいるのであるぞよ。

 にほんのくにには、よのこんぽんのおほむかしから、てんちのせんぞのかみが、しぐみがいたしてあるので、にどめのよのたてかへは、まつだいにいちどよりしられんのであるから、なににつけてもたいもうなことであるぞよ。かんじんのことは、あとへまわして、なにもしらぬいやなかたのちすじや、げすのしゅごじんが、だいじのしぐみもしらずに、われよしのやりかたで、ここまでトントンびょうしにでてきたなれど、くぶくりんといふところで、わうじやういたさなならんよになりたぞよ。

 くぶくりんのみたまが、てんちのごおんといふことがわかりてきたなれば、このよは、こんなむごいことになりはせんなれど、めくらやつんぼとおなじことで、さっぱりくらやみであるぞよ。いまのしゅごじんとじんみんとは、たてかへのてつだいいたすどころか、おほきなじゃまをいたすぞよ。あくのほうからみれば、まことのほうがあくにみえて、あくのほうがよくみえるので、なにごともみなさかさまばかりよりできんのであるぞよ。

 あくのしゅごじんが、おほもとのなかへはいりてきて、なにかのじゃまをいたすから、きゆるしはちっともできんから、ものごとがおそくなりて、せかいじゅうのくるしみが、なごうなるともうすことが、まいどふでさきにだしてしらしてあるぞよ。おほもとには、せかいのことがうつるから、おほもとのなかのようすをみてをりたら、せかいのことのけんとうが、ありやかにわかりてくるぞよ。ふでさきにいちどだしたことは、チトはやしおそしはあるなれど、けすじもちがはんことばかりであるから、みなでてくるぞよ。にほんのひのもとの、くにの○ともうしても、むごいことになりておるのを、しりてをるしゅごじんも、じんみんも、まことに、なさけないほどすくないから、いまのせかいのこんなんであるぞよ。にほんのしんみんがにほんはやまとだましいともうしてをるなれど、やまとだましいのしょうらいはチットもないやうにむごいことになりてをるぞよ。

 むかしからまちかねた、まつのよとなりて、みながそろふて、うれしうれしの、まつだいしほれぬ、いきばながさくのであるから、モウちこうなりてをるなれど、にほんのくにのじんみんに、チットもわからんので、かんじんのたてかへがおそくなるので、せかいじゅうのなんじゅうがながいぞよ。まことのいきがみは、ほととぎすすがたをかくして、ちをはきもって、かげのしゅごでありたから、はやくおもてになりて、なにかのことを、あっぱれあらはれて、ぜんとあくとのやりかたをあらためるぞよ。

 ぜんのやりかたはほととぎす、のどからちをはきもってでもくちをつむへて、こばりつめていかねば、なにごともものごとしゅったいがいたさん、つらいやりかたであるぞよ。くぶくりんのほうが、あくのひっぽうであるから、ちからいっぱい、ねらひつめてをるから、だいじのしぐみははよふはもうされんぞよ。

 あくのかしらにはよくわかりてをりても、かしらにしても、ここまでにトントンびょうしにきたしぐみであるから、このままであくのしぐみでやりたいのが、むねにはなれんぞよ。ここまでによりできん、あくのよのねんのあきであるから、なにほどあせりても、あくではモウ、ちょっともさきへもいけず、あとへももどれず、あくのよのをはりがまいりたのであるぞよ。これまでのくらがりのよには、あくのしぐみはわれのおもはくどほりに、トントンびょうしにいたなれど、あくのよわひはみじかいから、たびたびふでさきでしらしてあるぞよ。なにごともふでさきどほりにみなでてくるから、すなほにいたさんと、これからさきはおほまちがいができてきて、おほきないきもできんやうになるぞよともうして、きをつけたぞよ。あまりいつまでもわからんので、おなじことをかかして、くどうしらしたのも、とりもどしができんことがあるから、ここまでにこまごまと、かんでふくめるやうに、よくわかるやうにしてあれども、どうしてもわからんのは、しゅごじんのおもひが、ちごふてをるのであるぞよ。

 われがうへじゃエライとおもふて、はらのなかでおほまちがいをいたしてをるから、にほんのこんぽんのもとの、まつだいそのままでをる、いきがみの、てんちのせんぞのしぐみは、ちょっとにはわからんしぐみがしてあるから、ちゑやがくでどれだけにかんがへてもわかりはせんぞよ。おくのふかいしぐみがしてあるぞよ。モウこれからは、がいこくのカラのみたまでは、ものごとじょうじゅいたさんぞよ、あさいしぐみのめんめよしのやりかたでは、モウだめであるぞよ。たいもうなにどめのよのたてかへができるなら、にほんのよのもとからしぐみてあるやうに、おほもとへまいりてきてしてみよれ。そんなあさいあくのみたまでは、まつだいかかりてもできん、ふかいしぐみであるぞよ。いままでは、よのもとのいきがみは、なにごともみてみんふりをして、じせつをまちてをりたなれど、よがいちにちましにせまりてきたから、かげのしゅごではモウいかんから、もとのかみはひのでのしゅごとなるから、これまでのやうなずんだらなことは、しもさせもいたさんぞよ。このおほもとのなかがきびしくなるぞよ。このおほもとは、せかいのかがみになるとこであるから、このなかをかへるから、せかいもなにかのことがかはりてくるぞよ。ながいあいだのしぐみのわかるよになりてきて、おほまちがいのしゅごじんにつかはれてをるにくたいは、くやしいことがありても、どこもうらめるところはないぞよ。このよがでてくるまでに、かいしんをいたして、みたまをみがいてをるやうに、わるういはれても、ここいなりてからは、とりかへしはできんから、はらのなかのごもくをだしてしもふて、みたまをみがけと、いまになるまでしらしてをるなれど、おなじやうなことばかりを、いつまでも、ものずきでかいてをるくらゐにより、とれよまいが、うそのことなら、これだけにくろういたして、わるういはれても、とりもどしのできんことであるから、かみはいつまでもきをつけたが、モウきのつけやうがないぞよ。にほんのくにのかんじんのしゅごじんが、あくにかへりてをるゆえに、したのじんみんが、がいこくよりもまさりたやりかたであるなれど、チットもきかんのがあたりまへであるぞよ。いちばんうへのひとが、がいこくのみたまになりきりてをるゆえに、いまのハイカラになるのはあたりまへであるぞよ。にほんのやまとだましいを、がいこくへがいこくへひきぬかれてしもうて、くにのがいをいたす、カラみたまとすりかへられて、にほんのくにのかしらのしりのけまで、いっぽんもないやうにしられて、いまのていさい。ざまさらされて、まだモひとつにほんのくにをわるくいたして、てんちのせんぞのおちすじをだきこみて、このなりでまぜこぜで、モひとつうへへあがりて、にほんのじんみんをわるがしこうこどもをそだてて、をんなまでもヤンチャにいたしておいて、むこうのくにのごくあくがみが、にほんのわうよりモひとつうへのわうになるしぐみをまだいたすなれど、あくのよはくぶくりんでりんどまりとなるから、なにごとをたくみても、ひとつもおもわくはたたんぞよ。ここまですきすっぽう、やりほうだいにいたして、よをみだしておいても、まだふそくなか、モウこれからさきはなにほどごくあくがみがほねををりたとて、われのよがすみてからは、なにごともじょうじゅいたさんのが、てんのきそくであるぞよ。にほんのてんちのわうのいきがみをしたにみくだして、モひとつうへへあがりて、わうのわうになろうとのあさいもくてき、しにものぐるいをいたそうよりも、いちにちもはようわうじやうをいたすがけっこうであるぞよ。すなほにかいしんをいたせば、またしようもあるなれど、いつまでもてきたうて、てんちのわうよりもうへへあがりて、わうのわうにならうとの、はじめからのもくてきを、てんのみろくさまと、ちのせんぞのおほくにとこたちのみことが、こんぽんのことからのわるいたくみは、ちょうめんにつけとめてあるどふやうに、このよのはじまりのてんちをこしらへた、よのもとのまつだいそのままでをるいきがみであるから、このよのエンマともいはれたのであるぞよ。こわいばかりがエンマではないぞよ。このよのこんぽんからのことは、なにひとつしらんといふことのないかみであるぞよ。がいこくのかしらのみたまが、にほんのくにをとるべしで、ながながのたくみをいたしてをるなれど、かんじんのまんなかがぬけてをるからかなめのどうたいがないぞよ。あたまとをとではなにもしゅったいいたさんぞよ。あたまがやっツもありたり、をがやっツもありては、にほんのくにではまにあわんぞよ。あたまもひとつをもひとつでないとまことのてんちのごようはできんぞよ。ななわうもやわうもわうがあるとくにがをさまるといふことがないから、ななわうもやわうもあるカラのくにのわうを○○○げて、せかいひとつにまるめてしんこくのよにいたすには、このよのもとをこしらへた、にほんのてんとちとのこんぽんのまことのわうでをさめるじせつがまいりてきたから、めいじ二十五ねんからいまにつづいてしらしてあるぞよ。せかいのこんどのおほいくさはせかいじゅうのじんみんのかいしんのためであるぞよ。まんごまつだいいくさはつまらんものであるといふことを、せかいじゅうのじんみんにさとらせるためのいくさであるぞよ。まだまだこれこれではかいしんができずに、にほんのくにをとるかんがへをがいこくのあくがみがいたしてをるぞよ。にほんはしんこくかみのまことのしゅごいたしてあるくにであるから、なにほどがいこくにじんみんがたくさんありたとて、ちゑやがくがありたとて、しんこくにはとてもかなはんしぐみが、よのもとからいたしてあるから、くぶくりんでてのひらをかへして、まんごまつだいつぶれぬにほんのかみのわうで、さんぜんせかいをまるめて、じんみんをあんしんさせ、まつのよ、みろくのよ、かみよといたしててんちへおんめにかけるじせつがちこうなりたぞよ。にほんのくににいちりんさいたうめのはな、さんぜんせかいをひとつにまるめて、ひとつのわうでをさめるぞよ。わるがみのしぐみは、いままではトントンびょうしにきたなれど、くぶくりんでモウひとあしもさきいへいけず、あとへももどれず、いきももどりもならんといふのがいまのことであるぞよ。ここへなりたところで、むこふのくにのかしらがじゅうぶんかいしんをいたして、ぜんへたちかへりてぜんのはたらきをいたさんと、せかいじゅうのなにもしらんじんみんが、このさきでエライくるしみをいたすぞよ。にほんもがいこくとおなじやうになるぞよ。このおほもとのなかにも、がいこくのあくのみたまのしゅごじんが、ばけてきてをるが、モウばけをあらはして、みなのやくいんにみせてやるぞよ。

 くにとこたちのみことがでぐちのてをかりて、せかいのことをしらすぞよ。にどめのよをたてかへをいたすには、むかしからまだこのよができてからなきことが、あやべのおほもとにはできるから、はやくたちよりて、でぐちなおにかかしてあるふでさきをよくみて、はらへはいりたじんみんでありたら、こんどはとんだけっこうができるぞよ。こんどのことはふでさきをみんとけんとうがとれんから、じんみんのりこうやがくでわからんことであるから、かみのもうすやうにいたすがよいぞよ。よにでておいでますしゅごじんでは、けんとうがいつになりてもとられんしぐみがしてあるぞよ。はやくかいしんなされよ。あとになりたらこのしぐみは、みなビックリをいたすぞよ。

Re: 【大本神輸】-06 - 掲示

2012/03/05 (Mon) 15:20:51

 おてらしはいつたい、ななわうもやわうもわうがせかいにあれば、このよにくぜつがたえんから、にほんのしんこくのひとつのわうでをさめるしぐみがいたしてあるぞよ。がいこくはけものの○であるから○○にいたすぞよ。このにほんはしんこくのよであるから、にくじきなぞはならぬくにを、あまりけがして、かみはこのよにをれんやうになりたぞよ。せかいのじんみんよかいしんいたされよ。もとのむかしにもどすぞよ。ビックリばこがあくぞよ。しんこくのよになりたから、しんじんつよきものはかみのおやくにたてるぞよ。いままではカラとにほんがたちわかれてありたが、かみがおもてにあらはれて、カラもてんじくもひとつにまるめて、まんごまつだいつづくしんこくのよにいたすぞよ。うしとらのこんじんはこのよのエンマとあらはれるぞよ。

 せかいにおほきなことやかはりたことがでてくるのは、みなこのこんじんのわたるはしであるから、せかいのできごとをかんがへたらかみのしぐみがわかりてきて、まことのかいしんができるぞよ。せかいにはまことのものをかみがかりてをるから、だんだんけつこうがわかりてくるぞよ。よきめざましもあるぞよ。またあしきめざましもあるから、せかいのことをみてかいしんをいたされよ。あらたまりてよをかへるぞよ。いままでよかりたところはチトわるくなり、わるかりたところはよくなるぞよ。にほんはうへへおつちがあがるぞよ。がいこくはおつちがさがりてうみとなるぞよ。これもじせつであるからドウもいたしやうがないなれど、ひとりなりとかいしんをさしてせかいをたすけたいとおもふて、てんちのもとのおほかみさまへうしとらのこんじんが、ちゆうやにおわびをいたしてをるぞよ。

 このかみがあつぱれおもてになりたら、せかいをすいしょうのよにいたすのであるから、かいしんをいたしたものからはやくよくいたすぞよ。すいしょうのかみよになれば、このよはおもふやうになるぞよ。すいしょうのみたまをあらためてかみがごようにつかふぞよ。みたまのあらためをいたして、かみがつなをかけるぞよ。ツナかけたらかみははなさぬぞよ。このにほんはけつこうなくにであるぞよ。もとはかみのぢきぢきのわけみたまがさずけてあるから、いちだんもにだんもうへのみたまであるぞよ。ことばもそのとほりであるぞよ。それにいまのにほんのありさまは、さつぱりがいこくとおなじことにくもりてしもふて、しんこくのなばかりになりてをるから、もとのせんぞのかみはくやしいぞよ。これからせかいじゆうしんこくにいたして、せかいのかみもほとけもじんみんも、いさんでくらさすぞよ。かみ、ぶつじ、じんみんなぞのせかいじゆうのせんたくいたして、このよをかへすぞよ。しんじんつよきものはたすけるぞよ。しんじんなきものはきのどくながら、おでなほしでござる。かみはきをつけたうへにもきをつけるぞよ。モひとツせかいのおほせんたくをいたして、こんぽんからよをたてなほすから、せかいがいちどにうごくぞよ。とうきやうへせめかけるぞよ。○○○はあやべにしゆごがいたしてあるぞよ。あとはよくなりて、あやべをみやこといたすぞよ。せかいにはなんでなりともみせしめがあるぞよ。あやべにてんちのかみがみのおみやをたてて、さんぜんせかいをまもるぞよ。せかいがウナルぞよ。せかいはうへしたにかへるぞよ。このよはしんこくのよであるから、よきこころをもたねば、あくではながくはつづかんぞよ。こんじんのよになればどんなことでもいたすぞよ。めずらしきことができるぞよ。

Re: 【大本神輸】-07 - 掲示

2012/03/07 (Wed) 09:45:02

 あまりこのよにおほきなうんぷがあるから、どちらのくににもくぜつがたえんのであるから、せかいじゆうをますかけをひいて、せかいのおほもとをこしらへた、てんとちとのせんぞのまことのわうで、まんごまつだいぜんひとつのしんこくのわうで、せかいををさめて、くぜつのないやうにいたすぞよ。てんはみろくさまのかみのわうなり、ちのせかいはこんぽんのおほくにとこたちのみことのしゆごで、にほんのしんこくのまんごまつだいうごかぬかみのわうでをさめるぞよ。われよしのやりかたでは、このよはいつまでもたたんぞよ。このせかいはひとつのかみのわうでをさめんことにはじんみんのわうではをさまりはいたさんぞよ。にほんのわうはかみのわうであるぞよ。がいこくのわうはじんみんのわうであるから、よがだんだんとみだれるばかりで、じんみんはひにましになんじゆうをいたすものがふえるばかりで、まことのかみからはめをあけてみてをれんから、てんからはごさんたいのおほかみさまなり、ちはくにとこたちのみことのしゆごで、りゆうぐうさまのおてつだいで、もとのむかしのかみのしぐみどほりの、まつのよにたてかへいたして、せかいじゆうをたすけるのであるから、なかなかほねがをれるぞよ。モウじせつがちかよりたぞよ、よういをなされよ。あしもとからとりがたつぞよ。てんちのせんぞをじんみんのわうよりいちだんしたにいたして、かみはこのよにないどうやうにして、うしとらへおしこめて、がいこくにあがりてをるあくれいが、せかいのたいしょうになりて、あくのちすじとけんぞくのなんにもしらぬあくまをつこうて、まつだいよをたてやうとおもふてエライしぐみをしてをれど、よのもとからのてんちをこしらえた、そのままでにくたいのつづいてある、にてもやいてもひきさいてもビクともならんいきがみが、てんからとちからとりょうかがみで、せかいのことをちょうめんにつけとめてあるどうやうにわかりてをるから、モウにほんのくににはうごかぬしぐみがいたしてあるから、にほんのじんみんよひとりなりと、いちにちもはやくおほもとへまいりて、かみのごようとくにのごようをいたして、せかいじゆうをしんこくにいたすさしそへになりてくだされよ。いままでのよはわうはじゆうぜん、かみはくぜんともうしたが、かみもじゆうぜんわうもじゆうぜんのよにいたして、かみしもそろふてしんこくのよにせかいじゆうをならすぞよ。

 いまのせかいのじんみんは、このよにかみはいらんものにいたして、かみをしたにみくだして、じんみんよりエライものはなきやうにおもふてをるが、みてござれよ、たてかへのまつさいちゆうになりてくると、ちゑでもがくでもきんぎんをなにほどつみてをりても、こんどはかみにすがりて、まことのしんりきでないとおほとうげがこせんぞよ。こんどはかみがこのよにあるかないかを、わけてみせてやるから、あくにかへりてをるみたまでもぜんへたちかへらな、このかみのつくりたおつちのうへには、をれんやうになるから、かいしんをいたしてみたまをよくみがいてをらんと、なにかのじせつがせまりてきたから、まんごまつだいとりもどしのならんことがしゆつたいいたすから、いまにつづいてクドウきをつけるのであるぞよ。これだけにきをつけてをるのにきかずして、われとわがみがくるしみて、どんあとでかいしんをいたしてもモウおそいぞよ。いやなくるしいねのくにそこのくにへおとされるから、さうなりてからじだんだふみて、ヂリヂリもだへても、そんならゆるしてやるといふことはできんから、じゆうぶんにおちどのないやうに、かみがいやになりても、じんみんをたすけたいいつしんであるから、なんといはれてもいまにきをつけるぞよ。

 これからは、ふでさきどほりがせかいにあらはれてくるから、こころとくちとおこなひとみつつそろふたまことでないと、こんどかみからもたすにもつはおもいから、たかあまはらからもろふたにがもてんやうなことでは、よそからひとがたくさんでてきだすから、そのときにはづかしうないやうに、はらおびをしつかりしめてをらんと、かんじんのたからのやまをとりはずすことができるぞよ。こんどはこのおほもとにたちよるじんみんに、かみからのおもにをもたすから、めんめにみたまをじゆうぶんにみがいておいてくだされよ。ドンナしんとくでもわたして、せかいのかがみになるやうにちからをつけてやるぞよ。かいしんともうすのは、なにごとによらずにんげんごころをすててしもふて、ちゑやがくをたよりにいたさずかみのもうすことをひとつもうたがはずに、うまれごのやうになりて、かみのおしへをまもることであるぞよ。みたまをみがくともうすのは、てんからさずけてもろふた、おほもとのみたまのめいれいにしたごふて、にくたいのこころをすててしもふて、ほんしんにたちかへりて、かみのもうすことをなにひとつそむかんやうにいたすのであるぞよ。がくやちゑやぶつをちからにいたすうちは、まことのみたまはみがけてをらんぞよ。

 このよのたてかへいたすには、がくでも、りこうでも、ちゑでも、きんぎんでも、ほうりつでも、いかんぞよ。へいたいばかりのちからでもいかず、いまのせいじのやりかたでばなほいかず、ぶつやがいこくのかみのおしへでもなほいかず、いまのがつこうのおしへでもいかず、こんぽんのよのたてかへであるから、いまのじんみんのおもふてをることとは、てんちのそうゐであるから、せかいのじんみんがまことにいたさぬから、かみはほねがをれるのであるぞよ。にほんのくににただのいちりんさいたうめのはなのしぐみで、まんごまつだいよをつづかすのであるから、じんみんにはわからんのももつとものことであるぞよ。

 ここのつばながさきかけたぞよ。ここのえのはながとえになりてさくときは、まんごまつだいしほれぬしんこくのまことのはなであるぞよ。やまとだましいのみのりのいたすじせつがきたぞよ。こころのよきものかみのおやくにたてて、まつだいかみにまつりてこのよのしゆごじんといたすぞよ。このよはじまりてから、まえにもあとにもまつだいにいちどよりない、たいもうなよのたてかへ、たてなほしであるから、ひとつなりともかみのごようをつとめたら、つとめどくであるぞよ。それもそのひとのこころであるぞよ。かみはむりにひつぱりはいたさんぞよ。これだけはびこりたあくのよをたひらげて、ぜんひとつのかみよにいたすのであるから、このかはりめにつらいみたまがたつぴつあるから、かいしんかいしんといつてんばりにもうして、しらしたのであるぞよ。はやいかいしんはけつこうなれど、おそいかいしんはくるしみがながいばかりで、なんにもまにあはんことになるぞよ。うしとらのこんじんでしぐみいたして、くにとこたちのみこととあらはれて、ぜんひとつのみちへたてかへるのであるから、しぐみどうりがせかいからでてきだすと、ものごとがはやくなるから、みたまをみがいてをらんと、けつこうなことがでてきても、にしきのはたのもやうが、わからんやうなことではならんぞよ。いままでくろういたしたことが、みずのあわになりてはつまらんから、おほもとのつらいぎやうをいさんでいたすじんみんでありたら、かみがなにほどでもしんりきをさずけるから、ドウゾとりちがいをせぬやうまんしんのでぬやうにこころえてをりてくだされよ。せかいのかみ、ぶつじ、じんみんのために、かみがながらくくろうをいたしてをるぞよ。

Re: 【大本神輸】-08 - 掲示

2012/03/08 (Thu) 06:32:52

 うしとらのこんじんくにたけひこのみこととあらはれて、でぐちのてでかきおくぞよ。しらせおくぞよ。

 むかしからのにどめのよのたてかえであるぞよ。

 めいじ二十五ねんからにちにち、くちをかりてをかりてしらせたが、ぜつめいのよになりたから、なにもでぐちにかきおかせるぞよ。

 めいじ三十三ねんの六がつのようかにめしまへつれまいりたのは、チトいんねんのあることであるぞよ。けっこうなごようでありたぞよ。

 こんどのごようはいんねんのあるみたまでないと、つれいかれんのでありたぞよ。なにもしらずに、じんみんといふものはいろいろともうせども、いんねんあるみたまばかりをひきよして、かみのごようをいたさすのであるぞよ。

 これからじっちまことのしぐみを、チットづゝ、でぐちなおとうえだとにかかすぞよ。こんどめしまへごくろうになりたのは、かみからはまことにたいせつなごようでありたぞよ。これからはかみのいんねんを、でぐちとうえだにかかすぞよ。でぐちなおにかかしてあることは、みなせかいにあらはれてくるぞよ。

 あやべのうしとらのこんじんは、せかいのおほもとになるのであるから、よほどいまのところではむつカしいなれど、さいくはりゅうりゅう、しあげをみてもらはんとわからんぞよ。

Re: 【大本神輸】-09 - 掲示

2012/03/11 (Sun) 14:32:15

 おほもとのかみのおしえのとおりの、まことのぎょうのでけてをるみたまは、らくにしんかいのごようがつとまるなれど、ぎょうのできておらんみたまはつらくなるから、まことのかみのみちは、ぎょうしただけのことよりできはいたさんぞよ。

 よにおちておりたみたまは、どんなつらいぎょうもいたしておるから、サアここといふとこでは、ビクともせずに、らくにごようがつとまるぞよ。

 よにでておりて、いままでけっこうにくらしてきたうえのしゅごじんよ、いっときもはやくかいしんなされよ。モウよがせまりてきたから、よこむくまもないぞよ。

 これからは、あくのれいのきかんじせつがまわりてきたから、いままでのやうなつよいものがちのよのもちかたは、かみがゆるさんぞよ。

 いままでは、かみはどんなしんぼうもいたして、このよのくるをまちておりたぞよ。

 にほんはよくなじんみんのおほいくに、がいこくはがくのよであるからどんなことでもいたすぞよ。にほんのじんみんは、かみのくににうまれながらかみをおよそにして、われよしのごうよくばかりをかんがへて、かねのことになりたら、いっかしんるいはおろか、おやきょうだいとでもくじをいたす、むごたらしいみたまになりきりておるぞよ。これではしんこくのじんみんとはもうされんぞよ。

 にほんはかみのしょっぱつにこしらへたくに、もとのおやぐにであるから、せかいじゅうをしゅごするやくめであるぞよ。せかいのなんぎをたすけてやらねば、しんこくのやくめがすまんから、にほんのくにのじんみんを、いちばんさきにかみごころにねじなおして、がいこくじんまでひとりものこらずかみごころにかえてやらねば、にほんのかみとじんみんのやくがすまんので、てんのおおかみさまへにちにちうしとらのこんじんがおわびをいたして、よのたてかえをのばしてもろふて、そのあいだにひとりでもおほくやまとだましいにいたしたさに、かみはちゅうやのきぐろうをいたしておるから、にほんしんこくのじんみんなら、チトはかみのこころもすいりょういたして、みたまをみがいて、せかいのごようにたちてくだされよ。

 モウよがせまりてきて、ぜったいぜつめいであるから、どふするまもないぞよ。かみはせけるぞよ。

 にほんのじんみんが、はやくかいしんをいたしてくださらんと、せかいじゅうのなんじゅうがはげしくなりて、なにもかもそうぞこないとなるぞよ。

 にほんのくにに、かみがしぐみたせかいのまことを、がいこくはなにもしらずに、にほんのくにをわがものにいたそうとして、エライたくみはおくがあそうてせまいから、ここまでくぶくりんまでは、おもしろいほどトントンびょうしにきたなれど、てんのじせつがまいりて、わるがみのよのねんのあきとなりて、あくのりんどまりで、むこふのくににはしにものぐるいをいたしておるなれど、どこからもちゅうさいにはいることもできず、みごろしで、かみならたすけねばならんなれど、あまりががつよすぎてどうしようもないぞよ。

 このほううしとらのこんじんもががつようて、かみがみのてにあはいでおしこめられて、ひとりみになりてくやしかりたなれど、これだけのぎょうであるとおもふて、このよにはモウばけることのないとこまで、どんなことにもばけて、ここへなりたのであるから、モウひといろばけたいとおもふたなれど、モウばけることがないようになりたと、めいじ二十六ねんにもうしておいたが、このうえはかみにまつりてもらうよりしようはないと、なおにもうしてありたぞよ。

Re: 【大本神輸】-10 - 掲示

2012/03/12 (Mon) 09:48:44

 さんぜんせかいのしんかいとこのよとのおほたてかへであるから、よにでておいでますかみさまをあらためをいたしてみれば、このよはさつぱりやみのよになりてをるゆえに、けつこうなまことのことをながらくのあいだ、でぐちなをにごくろうになりて、エライきぐろうをさして、なんでもよのたてかへをはやくいたして、かみもぶつじもじんみんも、はやくよくいたしたいとおもふから、いんねんあるみたまのでぐちなをに、ながらくくろうをさしてをるぞよ。でぐちなをはまだこのよにでてからのくろうは、いちばんかるいくろうであるが、それでもこれだけのくろうであるぞよ。むかしのかみよからつみのふかいみたまであるから、なんべんもいきかわりしにかわりくろうをさしたのは、こんどのごようにたてるしんかいのしぐみであるから、こんどはつとめあげねば、なをのみたまはしんかいからゆるしてもらえんのであるぞよ。あまりせかいがわるびらけにひらけて、てのつけようがないようにみだれてしもふて、くるしむじんみんがたっぴつできてをるから、いちねんなりとあくのよをちぢめて、はやくよをかへてこんりんおうのよにいたして、みなのじんみんをよくしてやりたさに、うしとらのこんじんとでぐちなをのこのくろうであるぞよ。ひとのしらんくろうともうすことは、こんどのことがもうしてあるのであるぞよ。だれがたのみたのでもなし、このほうがあまりながらくくろうをいたしたので、せかいのじんみんがながいくろうをいたすのが、かわいそうでならんから、ばけてこのよをまもりてをりたなれど、かげのしゆごではモウいかんから、こんどはおもてにあらはれて、てんのごさんたいのおほかみさまのおゆるしをいただきて、さんぜんせかいをかまふおんやくとなりたぞよ。うしとらのこんじんが、いつきのかみとなりてしゆごありだすと、せかいのものごとがはげしくなりて、なにかのようすがかはるぞよ。これまではぞくのよでありたから、よきしゆごはできてはをらんぞよ。これからうしとらのこんじんがせかいのことを、ひとにわかるやうにふでさきにかかしてしらしてやるが、なにもわからんわれよしのじんみんは、またわるくとるであろうが、すいしょうのみたまにみがけばかみのもうすことがわかりだすぞよ。なにをもうしてもくらがりのよにそだちた、めくらつんぼのじんみんばかりであるから、わかりかけがいたさんのでかみはモウたすけやうがないなれど、ならうことならいふてきかして、ひとりでもよけいにたすけたいとおもへばこそ、たてかへをのばしのばしいたしてをれば、またあくのしゆごじんののかぬにくたいのじんみんが、ふでさきはうそでありたともうして、エライふそくやら、かみのわるいくちをもうしてをるなれど、ソンナあさいしぐみはいたしてないぞよ。せかいのじんみんよ、いちにちもはやくこころをいれかへて、もとのまごころにたちかえりて、しんこくのおしへをじゆうぶんはらにかみしめてみよれ、あまりおほきなまちがいやらとりちがいで、あいたくちがふさがらんことになるぞよ。

再掲 - 掲示

2021/12/02 (Thu) 15:51:02

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